2011年8月31日水曜日

ティーズ(女性のお祭り)


ナマステ ウッジョールです。

今日はティーズという女性のお祭り。
どんな祭りか簡単に言うと、女性が伴侶の健康や長生きを願う祭りだ。 ヒンドゥー教の教えから来ている行事の一つである。
既婚者はだんなのため、未婚者は婚約者や彼氏、または好きな人のために、
神様に健康安全延命祈願するのだ。

では、どのようにするのか?
女性はみんな赤いサリーをまとい、ここぞとばかり着飾る。
その日は、日の出とともに、何も食べずに過ごす。
水も飲んではいけないらしい。
その代わり、前夜に力がつく食べ物をたんまり食べる。
「キール」というミルク粥や「ギウ」という牛や水牛のミルクから作った
バターのようなものを、ご飯にかけて食べる。
この2つは私にとって、苦手No1.2を争う。
「キール」はとにかく甘ったるいのである。
「ギウ」はかなり動物くさいのである。
(食べられないわけではないが、できるだけ避けている。)

マンディール(ヒンドゥー教の寺院)や村の集会所などに
集まり、自作の歌を披露したり、踊ったりするのである。
歌は女性の思いがたんまり詰まっている。
例えば、「出稼ぎに行っているだんなのことを、毎日心配しているが
だんなからは、連絡がない。私がこんなに思っているのに、どうして
彼は、何も言ってこないの?」とか、
「昨年は、親が亡くなり、子どもも病気になり、つらいことがたくさん
あった。どうか今年は、家族が元気でいられますように。」と言ったようなことを
自作し、日頃の鬱憤(?)や悲しみなどを歌にして歌い、
ストレスを発散しているとともに、
女性達でそれぞれの思いを共有し合っているように思う。
とても、共感できる歌を歌った人には、大きな拍手がおこる。

私からすると、なんで女性だけが、
男性の健康安全延命の祈願をするのか。それも、何も食べないで。
男性は普通に食べているし、その日の食事はもちろん女性が作るわけで。
男性も同じようにすればいいのに・・・と思ってしまう。(外国人感覚かな?)

一方で、昔からの行事をとても大切にし、守っていることは素晴らしいと思う。
ネパール人は自分達の伝統行事をとても誇らしく思っている。
多くのネパール人が、日本でも、同じ行事があると思っている。
(これには、びっくり!)

とにかく、ヒンドゥー教徒の女性にとって、
とても大切な伝統行事であることは間違いないし、
この日を待ち望み、楽しみにしていることも間違いない。

2011年8月27日土曜日

タマ(たけのこ)


ナマステ ウッジョールです。

ネパールには、たけのこがある。
竹のときは、「バンス」と呼ばれ、たけのこは「タマ」と言う。
竹林があるので、たけのこがあって、当然である。

この間、うちの近くのタルカリ(野菜)バザールに
たけのこが売っていた。
日本は、春先に出回るが、ネパールは今の時期らしい。

ためしに、小さいのをひとつ買ってみた。
20ルピー(約25円)だった。

買ったものの、日本でたけのこの煮物など作ったことがなく
どうすれば、いいかわからなかったが、
母がしていたことを思い出しながら、やってみた。

灰汁をぬくために、灰を入れるといいということは知っていた。
灰はすぐ手に入る。
なぜなら、田舎の家ならほとんど、かまどでご飯を作っているから。

早速、ブバ(お父さん)に頼み、灰をもらった。
ブバが、「なんに使うのか?」と聞くので、「タマの灰汁をぬくために」と
答えると、「日本でもそうするのか?」と言った。
「えっ、ネパールでも?!」
同じ方法で、灰汁をぬくことを知り、びっくりしたし、うれしかった。
たけのこを食べることも、灰汁のぬき方も同じであった。

ネパールは、灰汁をぬいた後、塩やマサラで漬物のようにし、保存する。
すると、すっぱくなる。
それを、じゃがいもなどと一緒に煮て、カレーにする。おいしいよ!

しかし、私は日本風の煮物を作った。
初めてにしては、まずまずだった。母の味には、まだ遠いが、
また一つ、ネパールに来て、作れるようになった料理が増えた。
日本に帰ったら、ちゃんと母にたけのこの煮物の作り方を教わろうと思った。

2011年8月23日火曜日

デレイディンパチ②

ナマステ ウッジョールです。

日本から来てくれた友達の救援物資を早速、いただいた。
昨日は、うどんを作り、今日は海草サラダに紀州の梅干をのせ、
青じそドレッシングをかけて、いただいた。
さらには、いかみりんをおやつとして、食べた。
どれもこれも、久しぶりに味わう、日本の味だった。
懐かしいー。そして、うまーい!!

ネパールカナ(食事)もうまいけど、
やっぱ、日本食はホッとする。
私は、日本人なんだなーと実感した。

ネパール人は、暑くても、冷たいものをあまり食べない。
もちろん、田舎では電気が少なく、冷蔵庫があまり普及して
ないこともあるが、そうめんやざるそばのような、
夏にさっぱりとしたものを食べる習慣はない。
むしろ、暑い時期には暑いもの、辛いものを食べ、
汗をいっぱいかいて、涼しくしている。

涼の取り方も、国によって様々である。

今回は、汁のうどんを作ったが、次回はざるうどんを作ろうと思う。
わさびがないのが、残念だが、しょうがでも十分堪能できるはず。

友達のおかげで、さらネパール生活が潤い、充実できそうだ。
とても小さなことでは、あるが
「帰ったら、うどん作って食べよう。」
「梅干で疲れとろー。」と考えたら、仕事もがんばることができるでしょ!?

2011年8月21日日曜日

デレイディンパチ(久しぶり!)


 ナマステ ウッジョールです。

日本から、私の友達がネパールに来てくれた。
ツアーの合間をぬって、カトマンドウの「ボジャングハリ」という
ネパールダンスを見ながらネパールカナ(食事)ができる
高級なレストランで再会した。
約1年半ぶりに会った。
すごく、久しぶりで、それもネパールで再会できたことが
ほんまに、うれしかった。
3人で関西弁丸出しで、しゃべることができたのも、うれしい。

ネパールに来てから、ダンス観賞しながら食事ができるレストランに来たのも
初めてだった。
完全に観光客化した。
それもまた、新鮮な感じがした。

さらにうれしいことに、日本からの救援物資をいっぱい持ってきてくれた。
日本のお菓子がたくさん入っていた。
うまいぼう、懐かしい。
ネパールでもスナック菓子は、手に入る。
しかし、日本のお菓子はほんまにクウォリティーが高いのである。
ちょっとした、気配りがほんまに細かくて、
そのちょっとしたところに、日本の技術や品質の高さを感じるのである。

この救援物資からも、日本の友達のちょっとした気配りや気遣いが
手に取るようにわかり、ありがたさや温かさが身にしみたのである。

ほんまにありがとう!

2011年8月17日水曜日

ムサアヨ!(ねずみが来た!)

ナマステ ウッジョールです。
旅行から帰ってきたら、部屋がムサに荒らされていた!
布団やシーツなどは、食いちぎられ、穴だらけ。
食品を保存していた袋も、かじっていた。
幸い、食品被害は、保存を厳重にしていたので、
最小限におさえられたが、このムサめー。

とにかく、様子を見ようとしばらく要観察。
夜中になにやら、カサコソと音がする。
懐中電灯をあてると、いた、ムサが!
それも2匹、私の部屋を、ぐるぐると走り回っているではないか!
以前からも、ムサはいたが、私が電気をあてると
すぐに、逃げていた。なのに、今回は、電気をあてても、
全く逃げる様子も無く、私の目の前を堂々と走り回っている!
何たること!!
これは、だめだ。即、作戦決行。
毒入りビスケットを部屋に置いて、2,3日様子を見ることに。

明らかに、置いたときより、小さくなっている。
「よしっ、食べてるな。」
しかし、相変わらず、ムサはやってくる。
毒が効いていないのか?

次の対策を練るべきか考えていたが、必要なかった。
今日、朝起きて、私の食料保管棚を開けると、いた!!!またムサが。
さすがに私もびっくりした。
寝てるのか?いや、死んでいる。
よく見ると、小さくてかわいいのだが。
かわいそうだが、私の健康のため、あの世に行ってもらった。
毒は効いていたようだ。
よりによって、私の部屋で死ななくてもいいのに。
これで、しばらくは、安心できるかな?!

ネパールに住んでいる間、ムサ対策は怠らないよう気をつけよう。

フェリ ガエン(再び 行った)


ナマステ ウッジョールです。

約半年振りに、前回、巡回した学校に行った。
すると、いきなり、子ども達が、
「チエ マエダミース!」と呼んでくれた。
(ネパールでは女性の先生をMissと呼ぶ)

びっくり!!
「なんで?私の名前、覚えてくれていたんだー!!」
この学校には、半年前、2日だけ行っただけだった。
それなのに、私の名前を、それもフルネームで覚えていてくれた。
うれしい!

さらに、うれしいことに、私が前回したゲームも
覚えていてくれた。
そして、「また、しようよ!ミスが教えてくれた遊びは面白いよ。」と。
たった、2日行って、子ども達と過ごしただけなのに
こんなに、覚えていてくれているとは。

巡回指導型で活動している私は、2日だけ行っても、
あまり効果がないと感じていたが、
「そんなことはない。先生達にはあまり効果がないかもしれないが
子ども達には、私がしたことが、印象深く、強く残っているんだー。」と
感じた。

だから、短い期間であっても、その時、
私ができる精一杯のことをすれば、子ども達には何らかの効果があると。
子ども達の底知れぬ能力を信じて、がんばろうと思った。

ありがとう!私にまたやる気を起こしてくれた子ども達に
フェリ ダンネバード(Thank you again!)

2011年8月13日土曜日

エクバルサバヨ(1年たったどー)

ナマステ ウッジョールです。

任地に来て、1年が経ってしまった。早い!あまりにも早すぎる!!
1年前の日記を読み返してみる。

不安だらけの内容である。
表向きは、大丈夫、何とかがんばってるよ、ぼちぼちゆっくりとあせらず。
といった感じで、両親、友達などに伝えていたように思う。
確かに、その時は、不安な気持ちを抱えながらも
必死で、この未知の世界で何とか暮らしていこうと
自分に言い聞かせ、不安な気持ちを閉じ込めようとしていたのも事実。
日記には、正直な気持ちを書いていたんだと思いながら
改めて、1年前の自分を思い返してみる。

確かに、全く知らない土地に一人ぽつんと落っことされた状態だった。
知り合いは誰もいない。家もすぐには見つからず、仕事もうまく行かず、
言葉も全然、うまくしゃべれない、聞き取れない、そんな状態だった私が
よく1年、ここで暮らせたなと驚きである。

そして、1年たった今は、村の人はみんな私を知っていて、
仕事もボチボチ軌道に乗り、いろいろな学校の先生達から
「今度、いつうちの学校に来てくれるの?」と声をかけられ、
言葉も1年前よりはうまくしゃべり、聞けるようになり、
ネパール人と普通に会話できている自分に驚く。

1年という月日がこんなに自分を成長させてくれるんだと
大人になってから、これほど実感できた1年はないように思う。
ほんまに、いろんなことに感謝したい。
そして、がんばった自分もほめてあげたい。

残り、7ヶ月。
ネパール人とともに、ネパール生活をエンジョイし、
プギョ!(ネパール満喫しすぎて、もうおなかいっぱい!みたいな感じ)と
思えるような活動をするどー!!


2011年8月12日金曜日

バヒラマ(外に)


ナマステ ウッジョールです。

7月3日から、約1ヶ月、夏休みだった。
先生も、もちろん休みだ。
なので、私はネパールから初海外旅行に出掛けた。
私たちは、どこにでも行けるわけでなく、行ける国が決められている。
そこから、チョイスし、私は「スリランカ、モルディブ、インド」と
欲張って、25日間、3国も行ってしまった。

同じアジアにある国だが、やはりどの国も様子が違っていた。
一番イメージが違った国は、モルディブだ。
モルディブと聞けば、海がきれいでリゾートのイメージが強い。
もちろん、海はもうこの世の世界とは思えないくらい美しかった。
いろいろな魚が、たくさん泳いでいた。まさに竜宮城の世界だった。

何が違うかというと、村人の住む島とリゾートの島がはっきり分かれているところだ。
今回、私はどちらも訪れた。
同期隊員のいる島とリゾートは、まさに別世界だった。
地元民が住む島は、イスラム教の教えを守りながら生活している文化、習慣などを
肌で感じることができる。
ちなみに、モルディブはイスラム教を国教としているので、
イスラム教徒100%なのである。

一方、リゾート島は、観光用に作られた島なので、
住人はおらず、外国人観光客と働いている人だけがいるのである。
リゾートでは、贅沢な時間を過ごすことができ、いい気分を味わうことができた。
しかし、何か違和感を感じる自分がいることにも気が付き、変な気分だった。

ネパールにいる私にとって、リゾートのモルディブは
協力隊は必要か?と正直、思ってしまうが
モルディブ同期隊員の話から、モルディブはモルディブで
いろいろな問題があるんだなと感じた。

今回行った3国は正直、どこもネパールよりずいぶん、
開発が進んでいる国だと感じた。
外から、ネパールを見ることで、また違ったネパールを感じることができた。
開発は遅れているかもしれないが、カトマンドウに着いた時
何故かホッとし、懐かしさを感じた。
1年住んで、ネパールが第2の故郷になったことは確かなようだ。

きっとこんな旅は二度とできないだろうなー。
今回も、貴重な経験ができたことを、いろんな人に感謝し、
また、新たに、ネパールで活動がんばるぞー!!