2011年11月24日木曜日

パラウダイツゥ(教えているところです。)


ナマステ ウッジョールです。

ただ今、巡回中の学校を強化指導中。
管轄36校もあるので、一つを長い期間滞在して、
指導することは、2年という期間で、とてもできない。
上司と相談し、いくつかの学校に約1ヶ月、滞在しながら
強化指導を行っている。

この学校に来て、2週間が過ぎた。
これまでは、私がメインで、私が考えた授業を先生達に
とにかく見てもらいながら、言葉や子供達のサポートをしてもらっていた。
今日から、現地の先生がメインで、私がサポート役に交代。
どんな授業をするだろうかと楽しみでもあり、不安でもあったが、
とても、驚いた。
私が、今までやってきた方法を見事に取り入れて、授業をしたのである。
説明もうまかった。
私のつたないネパール語なんかより、
ずーっと子供達にわかりやすく説明していた。
子供は、真剣にそして楽しそうに授業を受けていた。
終わった後、授業をした先生が、「今日はすごく楽しかった。
いい方法を教えてくれて、ありがとう!」と言って下さった。
うれしかった。

私が目指していたのはこれだったのよ。
私の授業法を現地の教師に理解してもらい、
それを現地教師が子供達に直に教える。
言葉にすれば、簡単なんだけど、今日に至るまで道のりは長かった。
ネパールに来て、17ヶ月。
目指していたことの第一歩がようやく、実現した瞬間だった。
2週間後、この学校で、公開授業と教材作りをする。
この先生なら、必ず、いい授業をして、
他の学校の先生達にいい影響を与えてくれるだろう。

以前一緒にした先生もそうだが、私と一緒に仕事をした先生達が
この地域の先生達を引っ張ってくれるリーダー的存在になってくれることを
願っている。(先生達にはそうなって欲しいと伝えている。)

教えるのが、「楽しーー。」と思える今日この頃。

Foot Ball


ナマステ ウッジョールです。

うちの管轄2つの村で少年フットボール大会が行われるということで、
なぜか、開会式に呼ばれ、参観させてもらった。
郡の教育長も来られていた。
参加チームは10チーム。
学校で作ったチームや有志で作ったチームなど様々。
ネパール人は、フットボールが大好き。
少しでも広場があれば、少年達はみんなフットボールで遊んでいる。

開会式もやはりネパールだった。
まず、放送機器の調子が安定しない。電気が切れる。
集まりが遅い。
選手達が集まって、並んでいても、誰も話を聞いていない。
なのに、来賓の挨拶は長い。
何をやっているのかわからないうちに、開会式は終わってしまった。

そして、第1試合が始まった。
審判、選手が一緒にフィールドに入場。
その光景に驚いた。
審判の服装は普段着にチャッパル(サンダル)、
選手はほぼ裸足。靴を履いている子のほうが少ない
ユニフォームはとりあえず、上だけは揃っている感じ。

裸足でサッカーボールを蹴るなんて・・・。
私ならすぐ骨折するだろう。
しかし、ネパール人なら大丈夫。
普段からチャッパルで急な斜面でも、
水や薪、雑草などの荷物を持って、歩いて運ぶ。
山道が普通で、子供達も野山を裸足で駆け回っている。
畑を耕す、田植え、稲刈りなど、どんな仕事も素足かチャッパルでする。
そんな仕事をしている人の足は
指が太く、底がまるで靴を履いているかのように分厚くたくましいのである。
比べてみて、よくわかる。私の足のなんと貧弱なこと。
だから、裸足でも骨折なんてしないだろう。

裸足で、ユニフォームや道具など揃っていなくても
ただひとつボールがあるだけで、大人も子供もみんなを
楽しませるスポーツ、「フットボール」は偉大だ。
フットボールは貧しくても夢や希望や喜びを与えてくれるスポーツなんだろうな。

2011年11月19日土曜日

視察団訪問

ナマステ ウッジョールです。

私の本部事務所から視察団がやってきた。
ネパールの様子や状況を取材するためだ。
そして、私の活動先にも、やってきた。
タイミングよく、巡回先の学校を訪問してもらえることになった。

2年生の授業をしている時に、いきなり4人の視察団と
その学校の先生がほぼ全員、教室にやってきたので、驚いた。
私よりも、子供達はもっと驚いたに違いない。

大きなカメラを向けられ、とても照れている子供達がかわいい。
たくさんの人がやってきたが、子供達は、興奮しすぎることもなく、
いつものように、楽しく授業をすることができた。

特に1年生は45分、1Priod全て、見てもらったにもかかわらず、
ずっと集中して、がんばってくれた。
なんて、賢いんでしょ!!
いつもできないことが、今日はできてしまった!
大きなカメラを向けられ、知らない大人が大勢が見ている緊張感が
子供達を集中させ、持っている力を発揮させたと考える。
(日本の授業参観システムって、すごいんだ!と実感。)
私も楽しくなり、いつも以上に、いろいろやってしまった。
サポート役の先生も、子供達もみんな楽しそうに授業をしていたので
心からほっとした。

普段、私の授業など見に来たこともない先生達も私の教室にやってきた。
他のクラスの子供達はどうすんねん!!
こうなることは、予想していたので、仕方ないか。

その後、インタビューされ、活動の様子や現状など、話した。
自分の活動について、いろいろ聞かれることはないので
とてもいい経験になった。
取材される人の質問の仕方がとてもいいのだろう。
自分のやってきた活動はそう悪いものでなく、
自信もっていいんじゃないか
自慢していいんじゃないかと思え、
明日からもっとがんばろうと勇気と元気をもらえた。

またまた、このような機会を与えてもらえ、感謝です。

視察団の皆さん、明日はヒマールが見えることを祈っています。
(このベストシーズンにここ最近の天候不良で来ネ中、
ヒマラヤが一度も見えていないそうだ。)

2011年11月18日金曜日

ヌハウナ ジャロバヨ!(入浴が寒い!)

ナマステ ウッジョールです。

11月16日、3日ぶりのシャワー。
だんだん、寒くなってきて、シャワーを浴びる回数が減ってきた。
入るのに、気合いがいる季節になってきた。
今まで、水で「冷たい!」と思いながらも、耐えながら浴びていたが
今日から、湯、解禁。
身体を洗った後、薬缶でわかたお湯をバケツに入れ、
少し熱めの湯を作り、最後、浴びる。
「おー、あったかい。お湯って、なんて気持ちいいのかしら!」と
今日は、久しぶりに、お湯の有難さや幸せを感じたのである。

しかし、その幸せはつかの間で、早く身体を拭いて服を着ないと
すぐに寒くなる。
その後、ご飯を作り、食べるとまた身体があったまって気持ちよくなる。
最近はこの時間に停電することが多く、
暗い中、ご飯を食べ、身体があったまってくると眠たくなる。
そして、布団へGO!もう二度と、布団の外へは出られない・・・・。

まだ、寝袋で寝ていないが、もう少し寒くなり、寝袋で寝はじめると
完全に私の冬眠生活が始まる。
朝も11時頃まで霧に覆われて、暗いしね。
夜の長い生活、寒さをいかに凌ぎながら、快適に楽しく過ごすか、
ビチャール ガルヌパルチャ(考える必要がある)

ジャンマディン マナヨ(誕生祝いをした。)


ナマステ ウッジョールです。

先生の息子さんの誕生会をするということで、招待された。
特に親しいというわけではないが、どんな風にするのか興味があったので
お邪魔することにした。

仕事が終わって夕方に訪問。
すると、同じ学校の先生方がぞくぞくとやってきた。
友達もぞくぞくとやってきた。
親戚もぞくぞくとやってきた。

お祝いするための全てのセッティングが完了した。
16歳になる息子さんは、ケーキの前で座っている。
ケーキにローソクをつける。みんなでHappy Birthdayを歌う。
その後、ローソクを消すのかと思いきや、消さなかった。
(いつ消すんやろと気になっていたが、炎がケーキの寸前になって、
ようやく消したのでホッとした。)
そして、父からやっぱり「ティカ」を付けてもらっていた。
息子は父にケーキを食べさせてあげていた。
代わる代わるいろんな人から「ティカ」をつけてもらいながら、
プレゼントももらっていた。
友達のときは、目隠しをしながら「ティカ」を付けられていた。
どこにつけられるか、わからないので、終わったときには顔中、真っ赤だった。
本人はもちろん、家族も友達も先生方もみんなうれしそうで幸せそうだった。

年に一度の誕生日、こうして産まれてきたことを祝ってくれる家族や友達がいるって
なんて素敵なことだろうと思った。
決して裕福という感じはないが、この家族は深い愛情で結ばれていることが
この一日、一緒に過ごしてわかった。
まず、夫婦の仲がすごくいい。
そして、兄弟姉妹の仲もいい。(5人いる。)
みんな、ほんまにイイ子なのよ!誰もが笑顔が素敵!
だから、友達も多いのだろう。
愛情一杯もらって育った人は、周りにも愛情を一杯降注ぐことができるのだろう。

招待してもらってよかった。
この家族から、幸せを頂いた。
そして、言うまでもなく、ネパールカナもお腹はち切れそうになるくらい頂いた。
ジャンマディン スバカマナー(お誕生日、おめでとう!)

プルカルカ グミョ(プルカルカの旅)


ナマステ ウッジョールです。

私の住んでいる郡は「ダディン」。今、そこには5人の隊員がいる。
縁あって同じ郡に住んでいるのだから、ダディンをもっとよく知り、
ダディンのために働こう!ということで
同じ郡に配属になった5人で「ダディン会」を結成!

早速、会を開催するべくダディン郡の中ほどにある「プルカルカ」で
「ガンガジャムナ祭」があるということで、メンバー4人と
知り合いのネパール人2人と一緒に行くことになった。
どこにあるか、どんなところなのか全く知らない私たちは
とにかく、一緒に行くネパール人を頼って行くしかない。
しかし、初めからハプニング続出でいったいどのなるのやらこの旅は!

予定は1泊2日。
車が出るという町に10:30頃、集合。
ハプニングその① 「車が故障して、修理中!」
「今、直しているから待機しておけ!」と。
仕方がないので、カザ(軽食)を食べ、みんなでガフ(雑談)しながら、待機。
ハプニングその②「トラックの荷台ですかー!!」
ようやく修理が終わって、車に乗れると思ったら、
なんとトラックの荷台に荷物も人もごっちゃまぜで乗せられた。
出発したのは、16時を過ぎていた。
なんとなくイヤな予感がしていたのだが、隣のおっちゃんに恐る恐る尋ねた。
「何時間掛かるの?」と。
「6時間は掛かるで!」と返答。予感的中!!やっぱりかー。
今からこのトラックで、それも山のガタガタクネクネ道を6時間も乗るのかー。
そして、やっぱりIt was very hard!
これを経験したら、どんな車にも乗れ、どこにでも行けるわー。
ハプニングその③「真っ暗で、ここどこ?」
目的としている場所に着いたのは22時を過ぎていた。
そこから、今日泊まる人の家に行くわけだが、真っ暗すぎて、何も見えない。
真っ暗の道をヘッドライトの明かりだけを頼りに歩くこと20分。
ネパール人2人が道を迷い始めた。
おいおい、知らんかったんかー。
ハプニングその④「カナ チャイナ!!(晩御飯なし)」
ようやく、たどり着いた。11時から何も食べてなかったので、
すごくお腹が空いていた。
遅くなったが、ご飯は食べられると思っていた。
しかし、遅すぎて、作っていなかったようだ。
おなか空きすぎて、眠れへんわー!!
持ってきていた日本のせんべいをみんなで食べた。しみるー。
仕方ないので、狭い部屋で4人寝た。
ハプニングその⑤「雨ーー!!」
夜中、すごい雷がなった。家が揺れるほどの。びっくりした。
そこから、雨が降り出した。
今は乾期だから雨が降るという想定は全くしていなかった。
しかし、朝までまだ時間があるし、ネパールでは長時間降ることは少ないので、
朝には止んでいるだろうと誰もが楽観して、寝ただろう。
しかし、朝になっても止んでいなかった。
ここから、まだ山の登りを1時間半歩かなければならない。
雨の中の、上りはきつい。さらに下りはもっと危険だ。
「ガンガジャムナ祭」を見るのは、無理だな。
ハプニングその⑥「行くんですかーー??!!」
お腹が空きすぎているので、先に朝ごはんを作ってもらって、
食べてから行くことになった。
その間に、雨も止むだろうということで。
空きすぎたおなかには、何でもおいしく感じた。
作ってくれたアマ(お母さん)に感謝やわ。
そうこうしているうちに、雨も小降りになり、行くことになった。
雨の降った道はやはり滑りやすくて、歩きにくかった。
トレッキングよりきつい感じがした。
ようやく着いた目的地は、すごい人だった。
それも、私たち以外はおそらくネパール人しかいないと思われる。
こんなところに、外国人が4人もいるのが珍しいのか、
すれ違うみんなに、足の先から頭のてっぺんまで、じーっと見られた。
一緒に行ったネパール人に「あそこ見て!」と言われたので
指差す方向を見たら、なんと!!山の崖っぷちに行列ができているではないか!!
「あそこまで行って、プジャ(お祈り)するんだよ。」
「えー、あの崖っぷちに行くんですかー?!」と言いながら
恐る恐る、行って見ることに。
やはり、かなり急な岩場だった。
それも近くにお清めの滝があるため、常に濡れている。
一歩一歩気をつけて歩かないと、大変なことになるような場所だ。
よくこんな場所に、神様作ったな。いや、こんな場所やから神様がいるんやろな。
そこに、たくさんのネパール人が列を作っている。
並ぶことができないネパール人はすきを見ては、我先に行こうとして割り込んでくる。
私は、それが一番怖かった。
「こんな崖っぷちで、割り込んでくるなー!!危ないやろー!!」
プジャにかけるネパール人の情熱や労力は並大抵でない。
それくらい、仕事にも力入れてくれたらいいのに・・・。
下りの崖っぷちもどんだけ怖かったことか。
ハプニングその⑦「帰れない!!」
ようやくプジャ見学も終わり、さあ帰ろうと。
ところが、バスが来ない。車も来ない。
私は、行きの6時間のトラックに乗ったときから、うすうす気付いていたけど、
やっぱり、どう考えても、今日中には、帰れないでしょう。
ネパール生活をそれなりに暮らしてきたので、なんとなく予感はしていた。
でもやっぱり今日中に帰れないと思うと、疲労を感じる。
みんなあきらめて、村の宿にもう1泊。
隙間だらけの部屋は寒すぎた。持ってきた服を全部着て寝たが、それでも寒かった。
ベットの布団も決して清潔とは言えない。
ダニ大丈夫かな?と心配しながら寝なければならない。
日本のように、宿だからと暖房器具や風呂があるわけでない。
電気すらないこともある。
必要最低限のことが足りればそれでいいのだ。
翌朝、バスに乗り、5時間かけてたどり着いた「ダディンベシ」が
すごーく都会で、2日前に出発したばかりなのに、懐かしく感じた。
みんながいたから行けたと思うし、楽しく感じられた。
これが、ネパール人と2人だったら、そうは絶対に思わないだろう。
ネパールらしいネパールでしかできない旅だった。
このグムネ(旅行)はネパール生活ベスト3に入る
かなりコアな経験だったことは言うまでもない。

2011年11月12日土曜日

ブバアマ アウヌバヨ!(両親が来た)


ナマステ ウッジョールです。

両親がネパールに来てくれた。
海外旅行の経験がないわけではないが、ツアーでなく、
添乗員のいない旅行は初めてなので、
「タイでちゃんとトランジットできるのか?」
「ちゃんと飛行機に乗っているのか?」などなど、とても心配だった。

カトマンドウの空港で待っている間も、ドキドキしていた。
ゲートから出てくる2人の姿を見て、ほんまにホッとした。
来るまでに、いろいろ大変だったようだが、とにかく無事、到着して
ネパールで約1年半ぶりの再会を果たしたことが、なによりうれしい。

10日間の滞在で、両親に私の任地や職場、
ヒマラヤ、ブッタの生誕地、現地の様子などを見てもらおうと
いろいろプランを作って、一緒に旅行した。
こんなに長く一緒に旅行したことは、おそらく初めてだろう。

私の任地では、たくさんの方に歓迎してもらい、大家さんや私の生活ぶりを見て、
「生活は便利ではないかもしれないが、
周りにいい人たちがたくさんいるから、とても安心した。」と、両親が言ってくれた。
そして、現地の方の生活様式を見て、
「日本の50年前を思い出す。自分の小さい頃の生活とよく似ていて、懐かしい。」とも。
ネパールの棚田を見て、
「日本の比じゃない。よくあんな山奥まで作ったなー。」と感心していた。
ルンビニ(ブッタの生誕地)やパシュパティナートというヒンドゥー教の寺院を見て、
ネパールでは生死がとても身近で、輪廻転生などを深く感じることができ、
死に対する考え方も変わるなー。」など悟りを開いたかのように話していた。

両親にとって、道も車もよくないネパールでは、移動がとてもきつかったと思う。
私が予約した山の上のホテルも舗装されていないでこぼこ道で、
行きながら、「ほんまにこんなところにええホテルがあんのかー。」と父に言われ、
「ネパールでは、この道、普通やし、別に悪くないんやけど。」と言いながら
この道が普通と思っている自分は、もうネパール感覚になっていると感じた。
到着後、父も母もそのホテルをとても気に入ってくれたので、よかった。
この旅で、何度も日本住む両親とネパールに住んでいる自分とで、
感覚のずれがあると感じ、ネパール側にいる自分を実感させられた。
しかし、ネパール人といるときは、自分が日本人であることを
ひしひしと感じさせられることが多々あるわけで。

両親と一緒に旅することで、また違うネパールを知ることができた。
普段では行けないホテルやレストランに行けたり、おいしいものを食べたり
できたのも、両親が来てくれたおかげだ。

10日間中も、いろいろなハプニングがあったが、両親とこんな長い海外旅行は
二度とないだろう。それもネパールは。
そう考えるとやっぱり、時間を作って来てくれて、わがまま娘に親孝行の場を与えてくれた両親に感謝です。ダンネバード!!
無事日本に到着の連絡をもらい、私のネパールガイドの役目も無事終了。