2011年2月26日土曜日

ホステル(寮)


ナマステ ウッジョールです。
1週間の学校巡回から、帰ってきた。
今回の巡回は、歩いて3時間かかる村だ。
車でも行けるが、道はもちろん舗装されていない
ガタガタ道だ。
どちらで行っても、疲れることには変わりない。
私としては、歩くほうが自分のペースで行けるし、
途中で、いろいろな出会いがあるので、面白い。

1週間で3校回った。
最後の一校が、その村唯一の高校(10年生)まで
ある学校だった。
なので、近くに中学、高校がなければ、この学校に
通うことになる。
片道3時間かけてきている生徒もいるらしい。
学校に通うだけで往復6時間。
毎日、通ってくるだけで、立派と言える。

遠い生徒達のために、この学校には「ホステル(寮)」がある。
しかし、その住まいは想像以上に過酷な状況である。
どうみても、一人で暮らすのがやっとだろうという
ひとつの部屋に5人の生徒が暮らしている。
どうやって寝るのだろうか?
ブロック塀のみすぼらしい建物は、夏暑く、冬寒いことが
手に取るようにわかる。
しかも、食事は建物の裏手にある、かまどで
自分達で作って食べているそうだ。

中学生以上の生徒だけだと思っていたら、
なんと、8歳、9歳の子どももいるらしい。
こんな小さいときから、勉強するために、
親元を離れて、どう見ても快適とは、思えない住まいで
暮らしているのかと、思うと、胸が痛くなる。

学齢期に、学校に行かず(行けず)、勉強できず、
家の仕事を手伝っている子ども(でも親と一緒に暮らしている)と
小さいときから親元を離れて、過酷なホステル生活を
しながら、学ぶのと
いったいどっちが、幸、不幸で、その子のためになるのだろうか?
どちらにしても、子ども達は、小さいときから、とてつもなく
厳しい世界を必死で生きている。
どちらの子ども達も、幸せに暮らしていける世界を
我々大人が一日も早く作って行かなければ・・・と思う。

2011年2月18日金曜日


ナマステ ウッジョールです。

久しぶりに、雨が降った。12月31日大晦日以来。
嬉しいことなのだが、私にとっては
この雨のせいで、いろんな問題が起こった。
巡回で、山の上の学校に行っていた私は
家に帰れなくなった。
ネパールの山道、雨が降ると道がぬかるみ、
土が粘土のような状態になる。
歩けば歩くほど土が靴底にへばり付き、
滑ってなかなか前に行くことができない。
坂のきつい斜面はどうすることもできない。
なので、私は帰ることをあきらめた。
巡回した学校の先生の家にもう一泊、お世話になることにした。
本当は帰りたかった。
(それまでに3泊し、入浴していないから・・・)
しかし、先生の家に行くまでも、15分山道を歩かなければならない。
この15分が、大変だった。
案の定、滑って転んだ。
服や靴はどろどろ。
先生の家に着いたからといって、洗濯できるわけでもなく、
とりあえず、手と顔を洗って、ついた泥だけ落とした。
しばらく、何もする気が起こらなかった。
ただ雨が降っただけなのに、ネパールの山道がこんなに
歩くのが大変だとは・・・。
雨期の生活がどんなに大変か、よくわかった。
ここで生活している人は、サンダルで、ぬかるみ滑る道を
スタスタと歩いていく。
何故????
一日、ブルーな気分になったが、これも
よい経験になった。
雨期の山の巡回は絶対に行くまい。

自分の部屋に帰ってきたとき、どんなにうれしかったことか!
すぐに、シャワーを浴び、洗濯したことは言うまでもない。

2011年2月12日土曜日

折り紙


ナマステ ウッジョールです。

今回、巡回した学校で折り紙を教えました。
その学校は、日本人が寄付して建てられたそうで、
そのときに、日本人から折り紙ももらったということで
先生方が「子どもに教えてやって欲しい」というので
私が教えることになりました。

カメラと鶴と風船の作り方を教えました。
難しかったです。
何が難しかったか、言葉もさることながら、
日本の子どものように、紙を折るということに全く
慣れていないネパールの子どもに、
まっすぐ紙を折らせることが難しかったです。

前で見せても、どの線とどの線を合わせて折ればよいか
なかなか理解してくれず、悪戦苦闘しました。

形はきれいではありませんが、出来上がったとき、
子ども達は、本当ににうれしそうにしていました。

今まで、やったことがないことを教えるのが
こんなに難しいとは・・・・。
私にとってもいい経験になりました。

そして、日本の折り紙のすごさも実感しました。
小さいときから、紙を折る遊びをしていると
手先も器用になるし、空間認知も強くなるし、
考える力もつくなと思いました。

それぞれの国で昔から伝えられてきている遊びは
やはり、すごい力をもっているんだと感じています。

日本人の手先の器用さは、この辺から来ているのかもしれませんね。

サハヨーグ(援助)


ナマステ ウッジョールです。

ご無沙汰です。久しぶりのブログ更新です。
村の巡回が立て込んでいます。

巡回で、ひょんなことから、日本に旅行に行って
帰ってきたばかりという、ネパール人に会いました。
その方は、今回の巡回でお世話になった家の先生の弟さんでした。
彼は、仕事でベルギーに10年、住んでいて、いろいろなビジネスを
しているようです。
日本の友達に会うために、日本に旅行してきたようです。
まさか、この田舎で、日本に旅行に行って来たネパール人に
会うなんて、思いもしなかったので、本当に驚きました。

彼は、いろいろな言語を話すことができます。
彼の努力もさることながら、優秀で外国で仕事を成功させた
まさに、「ビデシ(外国)ドリーム」を手に入れた人なのでしょう!

自分の田舎に学校を作り、いろいろな支援もしているようです。
多くのネパール人が彼のように「ビデシドリーム」を夢見ています。
私もよく、「私も日本に連れていってくれないか?」と言われます。
ネパールでは、よい仕事(儲かる)につくことが難しいらしく、
高学歴の人ほど、外国に行ってしまうそうです。
低学歴の人も外国に行って、仕事をしていますが、それは
まさに出稼ぎで、きつくて大変な肉体労働なのです。
ネパールの二極化も広がる一方です。

その彼に、私は支援してもらいました。
日本のカレールーとサキイカをもらいました。
かなり、うれしかったです。
ネパール人に日本の物資を支援してもらうとは!!
ほんまにうれしい限りです。
彼はこれらを家族のためにお土産として買ってきたのに
ひょんなことから出会ってしまった私(日本人)に快く
くれたこの気持ちが、うれしかったです。
なかなか、受け取ることができなかったですが、
さらに彼は「あなたがこれを食べるほうがおいしく食べられるし、
日本のことも思い出すでしょ!そのほうが私もうれしいです。」と。

彼の気持ちのこもったカレールーとサキイカを
私は一緒にきた仲間と味わおうと思います。