2011年12月30日金曜日

シンガポール②


ナマステ!ウッジョールです。

昨日、年内これで最後かもと言って、みなさんに挨拶しましたが、今日、書く時間があるので、更新します。

シンガポール思い出ベスト1

シンガポールに来たら、チリクラブを食べるべし!と結婚式に参列されていたチャイナ系シンガポール人に言われた。
しかし、私は一人できているので、とてもじゃないが一人で食べきれる量ではない。
そんな話をしたら、なんとその方が、
「それでは、今夜一緒に食べに行きませんか?」と誘ってくれた。
「ほんとですかー!」
初対面の方にこんなお誘いをいただいて、ほんとにいいのかしら?と。
でもその方は、「あなたは新婦の友達でしょ!あたしはあの子の先輩なのよ。あの子の友達なら歓迎するのが当たり前ですよ!」とおっしゃって、
海鮮料理のおいしいレストランに連れて行ってくれた。
シンガポールでも、また人の温かさやマヤ(愛)に触れることができた。

海鮮レストランで、私のテンションがまたまた上がったことは言うまでもない。
大きなかにのチリソース和えが出てきたときには、うれしすぎて、大声で叫んでいた。
写真ももちろん撮った。
その後も、かにのから揚げや貝のガーリックソース和えなど
おいしいものをおなかいっぱい食べた。
やっぱ、海鮮は最高だね!
おいしいもので最高に幸せになったがそれ以上に
初対面の私にこんなに親切にしていただいたシンガポールの方々に
感謝の気持ちでいっぱいだ。

おなかも心も最高に満たされた私は、ほんまに幸せ者だなと思った。
海外で生活してから、本当にいろいろな国の方々の愛をいただいていることを実感する。
ネパールでは、もちろんだが日本に帰ってからも
いろいろな方々に恩返しすることが私の任務のひとつであることを本当に実感している。

2011年12月29日木曜日

シンガポール


ナマステ ウッジョールです。
シンガポールに行ってきました。
なぜか?
学生のときに知り合った友達が結婚するということで、
招待されました。
彼女に「ネパールからだと近いでしょ?」と言われました。
私も近いかなと思ったけど、カトマンドウから5時間かかりました。
日本からとそう変わらないような気がします。
20年ぶりのシンガポール。
まったく違っていました。
ネパールから行ったので、余計にそう思ったのかも知れませんが
東京や大阪と変わらないほどの大都会でした。
私は「あんた、どこからきたん?」と思われても仕方がないほど
完全におのぼりさんでした。
見るものが、新鮮でした。
特に日本のスーパーやデパートに行ったとき、刺身やすしなど
日本食や日本食材が勢ぞろいしている様子を見て、
もう、釘付けでした。
何を見ても、わくわくしてしまいます。
こんなに自分が日本食に飢えているとは。。。。
日本人の店員さんが、「どちらからお越しですか?」とたずねるくらい
私は、それらの食材を食い入るように眺めていたんだろうなと思うと
ちょっと恥ずかしくなった。
日本に帰ったら、真っ先に刺身とすしを食べる決意を新たにした。
友達の結婚式に出席したことは、まったく書かずに、日本食のことばかり書いてしまった。
結婚式やシンガポールでのことはまたの機会に書くことにする。
もしかしたら、年内のブログ更新は最後かも知れないので
いつも私のブログを読んで下さっている皆さんありがとうございます。
1年のネパール生活が無事に終わろうとしています。
来年もみなさんにとって、よい年でありますように
では、よいお年をお過ごしください。

2011年12月22日木曜日

カトマンドウマ アヨ


ナマステ ウッジョールです。

18日にカトマンドウに上がってきた。
本当は19日に上がる予定だった。
しかし、バンダ(ストライキ)があるということで一日繰り上げてやってきた。
いつも、バンダと言いながらも、すぐに解除されたり、何もなかったりするのだが、
今回のバンダは、予定通りだった。それもネパールバンダだった。
カトマンドウ滞在中にバンダを経験したのは初めてだった。
いつもは、車の渋滞、排気ガス、クラクションでダーディーな感じだが、
バンダでは、車が一切走っていないので、クリーンで静かだった。
大通りの真ん中を歩いも、問題ない。
警察官が物物しい格好でたくさん立っているので、物騒ではあるが、
一般市民は、仕事に行けないので休みになり、うれしそうである。
バンダで車が走っていないせいか、いつもよりヒマールがきれいに見えた。
今回のバンダで何かかわったんかなー?
次の日はいつものカトマンドウだった。

そんなバンダ最中に、モルディブからネパールに遊びに来ていた隊員がいた。
19日は、何もできないネパールのバンダを体験してもらった。
20日は、タメルで買い物し、美味しいもの食べて、アサンやダルバール広場を
散策し、すっかり私が観光客だった。
いつもは撮らない写真をとりまくり、日本の友達のお土産を買いまくった。
久しぶりの買い物や観光は楽しかった。
これも、モルディブ隊の友達のおかげやねー。
話せば話すほど、モルディブとネパールは真逆のような国だ。
お互いないものねだり課も知れないが、ネパール隊は、海が魚が恋しくなる。
モルディブ隊は山が、米が野菜が恋しくなるようだ。
私はモルディブできれいな海に癒された。
モルディブ隊は雄大なヒマールに癒されたそうだ。
でも、どちらも自然に癒されているんだなー。

そんな最中、私のラップトップの調子がおかしくなった。
操作画面が開かなくなり、ほんまに壊れたかーと一時はパニックになっていた。
なぜなら、今までネパールで撮ってきた写真のデータが
すべてパーになると思ったからだ。それってショックすぎるー。
PCが壊れるより、データが無くなることのほうが、ショック大だ。
何とか操作画面がでるようになったので、ここぞとばかり
ハードディスクにデータを移し替え終えた。
ほんまにドキドキしながらの操作だった。
なぜなら途中で勝手に強制終了するからだ。
無事できたときは、うれしすぎて、泣きそうだった。
写真が無くなったからと今までのネパール生活が失われるものではないが
写真があるとないとでは大違いでしょ!
この事態に、いろいろ助けてくださった皆さんにほんまに感謝です。
(まだ、不安定PCで、完全に治っているわけではないが・・・。)

この3日間のカトマンドウ滞在で、いろんなことがありすぎて、頭が混乱状態。
モルディブの友達とネパールで再会した喜びと
PCが壊れてデータがなくなるんじゃないかという不安と
みんなから心配してもらい、
いろいろアドバイスをくれた友達がいるという安心と・・・。
人間って悲しみも喜びも一度に味わえるんやねー。

モルディブの現職隊員のみなさん、任期全うして3月に東京で再会しましょー!

2011年12月16日金曜日

ジャンタ ガヨ(結婚行列に参加した。)



ナマステ ウッジョールです。

結婚式の招待状をもらった。(前回のブログで更新済み)
だから、「ジャンタ」に参列した。
「ジャンタ」とは、新郎側が親戚、友達、同僚など一緒に
音楽を演奏しながら新婦の家まで、列を成して迎えに行くことである。
近くなら歩いて、遠ければバスをチャーターして行くのである。

今回はバス2台、そして新郎が乗る乗用車をチャーターし、
バスの上では、音楽隊が楽器を演奏しながら、行った。
途中からは、車が入れない道になったので、音楽隊を先頭に
行列を作って、歩いていった。
まさに「結婚パレード」である。

到着したら、様々な人から祝福の「ティカ」(おでこに付ける赤い粉)をもらう。
それから、きれいに着飾った新婦と一緒に
夫婦になるためのいろいろな儀式を行う。
その間、参列した人たちは、儀式を見ている人もいれば、



おいしいご馳走を食べたり、歌ったり、踊ったりしている人もいる。
長い儀式がすべて終了した後、新婦はいよいよ実家を離れ、
新郎と一緒に新郎の家に行くのである。
このとき、家族と別れるのが悲しくて、泣く花嫁が多い。今回も然り。

次の日は、新郎の家で結婚パーティーが行われる。
こうして2日間、結婚行事が行われるのである。
ヒンドゥー教徒のネパール人はほとんどがこのように結婚式をする。

昔の日本も行列を作って、花嫁は花婿の家に嫁入りしたと聞いている。
実際にその様子を見たことはないが、ネパールの「ジャンタ」に参列し、
花婿と花嫁が逆ではあるが、こんな感じだったのかなと想像することができた。

新郎新婦の末永い幸せを祈っています。

2011年12月14日水曜日

ニムタ パヨ(招待状をもらった。)



ナマステ ウッジョールです。

結婚式の招待状をもらった。
今まで、何回か結婚式に行かせてもらったが、
招待状をもらったのは初めてだった。

ネパールの結婚式は特に招待状がなくてもお祝いにいける。
食事は外でビュッフェ形式。親族や招待された人だけでなく
近所の人たちにも振舞われる。

招待状をくれた人は、学校の経理をしている25歳の若者だ。
カトマンドウで2年間、日本語を勉強していた彼は、日本語を
少し話すことができる。
日本に語学留学したくて、挑戦したが、ビザがもらえなくて、
一度、あきらめていた。
しかし、私と会い、日本語をまた勉強し始めた彼は、再度、
日本に行けるように挑戦し始めた。

矢先、結婚ですか?!

あまりにも、突然のことで、びっくりして事情を聞くと
やはり、両親の強い薦めで、断わることができなかったそうだ。
相手の人とはまだ会って、1週間ほどしか経っていないという。
写真を見せてもらったが、21歳のきれいな人だった。

ネパールの見合い結婚はだいたいがこんな感じなのだろう。
自分達の民族やカースト、家系などいろいろな条件が一致すれば
問題ないという。
愛情は、後から生まれて来るのもらしい。
私には理解しがたい問題だ。

彼の本心は、日本に行ってから、その後結婚したかったそうだが、
以前に一度、両親の薦めを断わったことがあり、待ってもらっていたから
今回は、両親の言うことに従うのだそうだ。

結婚した後でも、日本に行くための挑戦はできるから、
行けるように頑張ってみると言っていた。

そんな彼からニムタ(招待状)をもらったので、是非、出席したいと思う。
いつもは、おいしい料理だけ頂いて帰っていたので、
今回は、いろいろな儀式など見れるだけ見てみようと思う。

知り合って間もない人と結婚し、夫婦として共同生活するなんて・・・。
ネパール式見合い結婚は、私には無理だな。

2011年12月11日日曜日

アンティーム ディン(最終日)



ナマステ ウッジョールです。

12月9日(金)1ヶ月滞在した学校の最終日。
行くと何やらいつもと様子違う感じ。
いつもと同じようにまず3年生の教室に。
授業はいつもどおり始まった。
でも、いつも通り終わらなかった。
いきなり子供達から「ミス、ありがとう。」と言われ
家で咲いている、または自然に咲いている花で花束や花輪を作って、
私にくれたのである。
それも全員から。驚いたと同時にすごくうれしかった。
これが2年生1年生の教室でも同じことが起こった。
1,2,3年生は、毎日算数を教えに行ったので、子供達の名前も全員覚えているし、
それぞれの子供がどうよくなったかも知っているから、すごく愛おしく感じる。

4,5年生は数時間しか行けなかったので、申し訳ないが、
名前すら覚えることができなかった。
にもかかわらず、4,5年生の教室にも呼ばれ、
全員から花束や花輪をもらったのである。

全校生から花をもらうことなんて!ほんとうにうれしくて、幸せに感じた。
あまりにうれしかったので、また教室に行って、
お別れのミタイ(お菓子)を一人ずつ配った。
1,2,3年生は握手やハグやキスをしながら。
4,5年生は握手をしながら。

最後はみんなで写真を撮った。
帰るとき、1,2,3年生の子供達に
「ミス、行かないで!もっとこの学校にいて!」と
何度も何度も懇願された。
あの大きな愛くるしいキラキラしたおめめで、言われたら
どうしようもなく胸がいっぱいになって、
「また、絶対に来るからね!」としか言えなかった。
涙は絶対に見せまい。笑顔でお別れと決めていたから何とか踏ん張れた。
しかし、帰ってから、日記を書くとき、一人思い出し泣きをしてしまった。

先生方、子供達、みんなほんまにほんまにありがとう!

今回もまた、ネパールの人からかけがえのないものを頂いた。
貰いっ放しの私。こんなに頂いていいのかしら。
残りの任期も日々の活動でお返ししていかなければ。

Open Class In Benighat④ 二日目


ナマステ ウッジョールです。

1時間目 1年生 算数 10までの数
若い先生であるが、教師としての素質十分である。
なぜなら、子どもが好きである。
朝、授業が始まるまでの時間、子どもとよく遊んでいる。
子どもへの聞かせ方や注目のさせ方がうまい。
穏やかで、話し方がソフト、なおかつ時々、ジョークも言う。
子ども達に好かれて当然である。
さらに、頭が柔らかく、いいと思ったことはすぐに授業に取り入れ
吸収することができる。
しかし、残念ながらネパールでこういう先生は珍しい。
上から目線で声がやたら大きく、叩く怒鳴るは日常茶飯事。
私がアドバイスしても、「それはいいね」と言うだけで、何も変えない。
ベテラン男性教師は最も頭が固く、私の意見には耳も貸さず、
反論し、自分のやり方が一番だと思っている。
一番たちが悪いタイプ。
話が反れたが、もともと素質のあったこの先生は、日に日に成長を遂げ
いろいろなことをあっという間に吸収してしまったのである。
私の作った教材で自分のアイデアをどんどん出し、
子ども達に楽しく、教えていく。
だから、1年生の子ども達も、先生同様、急成長である。
はじめ、数字を読めない子、数字と半具体物の数を合わせられない子、
とにかく、何でも1から数えないと答えの出せない子。
それが今では、数字はもちろん、数を「5と1で6」というように
まとまりで捉えることができるようになっている。
だから、ほとんどの子がテンフレームの6や7、8,9を
見せてもはじめから数える子はおらず、
「5と1で6」「5と2で7」・・・というように捉え、すぐに「6!」「7!」と
答えることができる。すごい!!
日本ではこんなのできて当たり前なのであるが、
ネパールの1年生が、それもごく一般的な村の1年生の子ども達が、
これをできるのはすごいことなのである。
ネパールでは、数字と数字の読み方をメインに教えるので
数字がただの記号でしか捉えることができにくい。
3=○○○とイメージしにくい。
一番、力を入れて教えて欲しい基礎の基礎である「数の概念」を
疎かにしているので、いつまでたっても算数が苦手なのである。
学校で学んでいない両親が多いネパールで
日本のように家庭教育はまだまだ期待できない。
だからこそ、学校で数の概念をしっかり教えて欲しいのだ。
この先生は、その重要性をよく理解してくれ、
「ミスの言うように足し算、引き算より
まず数をしっかり捉えられるように教えないといけないですね。」と言って
1ヶ月、いろいろな教材を駆使して遊びながら楽しみながら
でも、要点はきちんとおさえながら、教えてくれたので
公開授業は参観者に強烈パンチを喰らわしたと思われる。
「23歳の若造にやられたー!」といった感じではなかろうか。
だから余計に、「私にもできる!」と思い、奮起してくれたに違いない。
その証拠に、多くの先生方が熱心に教材作りのトレーニングを受けてくれた。

Open Class In Benighat③


ナマステ ウッジョールです。

2つの授業を終えた後、授業反省会。
25名ほどの先生方と今日の授業について、話し合った。

とにかく、公開授業を見るのが、初めてという先生が多いので、
まずは、公開授業をすることで、どんな効果があるのかを説明した。
しかし、説明しなくても、現地のそれも同じ村でほとんどが知り合いという
とても身近な教師が教材を使いながら、うまく授業を進めているのを見て、
刺激された先方は、その効果のほどを感じたと思う。

とにかく、高価な教材ではなく、身近で手に入るものを使って、
それもわかりやすく教え、子供達が楽しみながらも
早く理解していたことを、すばらしく感じたようだ。
教師が一方的に言うだけ、板書するだけの授業では、ダメで
これから、こういった授業を取り入れて行きたいと多くの先生方が
言ってくださった。
また、この勉強会はとても役に立つので、こうした機会をもっと
作って、教師同士で高め合っていきたいとまで、言ってくださった。

授業をしてくださった先生方が一番その効果を実感しておられ、
私が何か言おうとしたら、その先生方が、私の言わんとしていることを
いち早く察知し、私の代弁者となって参観された先生方に、力説しておられた。
私、なんて楽チンなのー!
そして、ほんまに私の言いたいことがわかっているからすごい!!

教師としてどうあるべきかということを10か条にして言わせてもらった。
かなり厳しい内容もあったが、それも、私の代弁者が私の味方となって、
「みんなで、協力しながら我々は子供達のためにもっとがんばらねばならない。」と
さらに、先生方を奮起させてくれた。
ありがたやー、ほんまに感謝やわ。
教育者同士、心が通い合っていると感じた瞬間であった。

N先生、R先生、もう一人のR先生、私はあなた方と仕事ができて
最高でした。
この地域の先生方をリードしていってください。期待しています。
感謝

2011年12月9日金曜日

Open Class IN BeniGhart②


ナマステ ウッジョールです。

2時間目 2年生算数 繰り下がりの引き算
2年生の算数を教えている先生が算数担当。
当初、この先生だけ、公開授業する予定だった。
しかし、1,3年生の算数を教えている先生や校長先生が
「折角だから、みんな見せよう。」と意見が一致したので、
3クラス見てもらうことになった。
算数担当だけあって、私がしようとしていることをすぐ理解してくれ、
「ミスの方法はとてもいい。子どもがとても早く、
楽しんで、理解しているから私もこの方法を他の先生に見せて伝えるよ。」
と言ってくださった。
2年生の子どもたちも、比較的理解が早く、10の合成・分解、
繰り上がりの足し算、繰り下がりの足し算を素直に教えたとおり理解していく。
びっくりである。
何故か?
やはり、この先生の教え方、言い方がわかりやすいのである。
板書も丁寧なのである。
そして、私と一緒にやることで、教材の使い方、見せ方もうまくなり、
さらに、子どもが進んで、学習するようになった。
「先生、すばらしいですよ!」
しかし、時々起こったり叩いたりしていたので、そこが気になっていた。
だから、私はとにかく子ども達を褒めて、授業をした。(先生も褒めた。)
すると、だんだん叩く回数が減り、褒める回数が増えてきた。
「カティ ラムロ!(なんてすばらしい!)」

公開授業は、他の先生方も感心しておられた。
繰り下がりの引き算を見事に教え、子どももよく理解していた。
授業中もたくさん褒めていた。
子ども達が、できたノートを先生に張り切って見せに行く姿と
「Good」をもらってうれしそうにしている姿は、いつ見ても微笑ましく
幸せ気分になる。
どこの国の子ども達も、できなかったことができるようになった喜びや
先生に褒められて、うれしくなるのは同じなんだなと思った。
やっぱり、人は褒められて伸びるんだよー。

授業反省会のときに、私が「教師として、子どもたちの前で、
子どもを怒ったりよくないことを言ったりしないでください。
そして、子どもを叩かないでください。」と先生方に助言。
すると、この先生が「そうだよ。授業中によくないことを1回言ったら
その5倍は褒めてあげないといけないんだよ。」とおっしゃった。
この発言、私はどう解釈したらいいのか?
褒めることの効果をこの先生自ら感じ取った発言と解釈してよいのだろうか?
それとも・・・。
いいほうに考えるとこにしよう。

何はともあれ、この先生の授業は多くの先生方を刺激したことは間違いない!

Open Class In Benighat①


ナマステ ウッジョールです。

この間、結婚の日と重なるという理由から
日程を変更した公開授業、ようやく実施することができた。

前回、山奥で実施した場所とは違い
今回は、主要幹線道路沿いにある交通に便利な場所での実施。
なので、前回のようなことはなく、10:00から始まるこの会に
7人の先生が時間通り来られ、11:00までにはほぼ全員揃った。
上出来。

1時間目、3年生算数 2桁×2桁の筆算。
先生も子どもも緊張していたが、とてもがんばって授業をしてくれた。

継続して身に付けること、見通しを持って行動することが
難しいネパール人にとって、算数は苦手教科の一つである。
23×34などの答えを出すのに、どれだけ時間掛かるの!?と言うくらい
とにかく時間が掛かる。
まず、子ども達もなかなか「九九」(ネパール式の九九のようなものがある。)を
覚えられない。だから、5×6とか言っても、すぐに答えが出てこない。
5×1、5×2、5×3・・・と始めから言わないと答えが出てこないのである。
次に、位の意味をいまいち理解していないから、
出した答えをどこに書けばいいかわからない。
そして、繰り上がりの足し算がこれまたすごく時間がかかる。
さらに、1桁+1桁の計算も・・・・・。
「あはーーーーー、この子達はどれだけの難関?を突破しないと
この問題を解くことができないんだーーーー。難関が多すぎ!!」と言う
子ども達を1ヶ月、私のできるありとあらゆる手段を使って
難しすぎないように、一つずつ丁寧に教えた。
ノートもマスノートに変えた。
教師用のマス黒板のようなものも作った。
これは我ながらナイスアイデアだと思っている。
紙にマスを作って、位を書き、その上から透明のテープをラミネートのように貼る。
そうすると、それはホワイトボードのような役割をしてくれ、
ボードマーカーで何度も書き消しができるのである。

2桁×2桁の筆算ができるようになるまで、
繰り上がりの足し算方法、九九のフラッシュカードで繰り返し練習、
簡単な足し算ではこうして指を使うようにと(日本では指を使わないように教えるのだが、ここでは指を使ってでもいいから、自分で答えを導き出せるように指導。)
2桁×1桁の筆算の方法などなど、到底1ヶ月ではできない内容を
先生を含め、指導していった。

12×23のような繰り上がりがない数字で、筆算のやり方だけを
ネパールの先生と相談しながら公開授業までに4,5回は教えた。
しかし、その度に期待はことごとく裏切られ、
「あはー、今日もだめだった。」と落胆する日々。
ネパールの先生は、完全あきらめムードだった。
公開授業で、見てもらう内容を変えようとまで、言い始めた。
しかし、私は「たとえ失敗しても挑戦しましょう。子ども達を信じて!」と励ました。
そして今日の公開授業。
いい意味で、子ども達に裏切られた。
今まで、何度教えても、筆算のやり方を理解できなかった子達が
何人もできるようになったのである。本当にびっくりだ!
これも、もしかして多くの人に見られているという緊張感が
いつも以上の集中力を発揮させたのだろうか?
今まで、あきらめずしてきたことに、
ようやくうっすらと光が見えたように感じられた日であった。
そして、「子ども達はできるようになる!」と信じて教え続けることの大切さも
子ども達から教わった。
これを明日も覚えていてくれればいいんだけどなー。
先生が続けてやってくれることを信じよう!

2011年12月6日火曜日

My Boom


ナマステ ウッジョールです。

12月になってしまった。

最近、私の中で流行っているもの。
ひとつ。
蒸野菜。
ネパールも冬になってきたからか
大根、人参、サツマイモ、里芋などが手に入るようになった。
この時期、立派なカリフラワーがバザールでもわんさか売っている。
日本で、カリフラワーをおいしいと思って食べた記憶がない。
が、しかし、ネパールのカリフラワーはほんまにおいしいのである。
ネパールカナ(食事)との相性が抜群なのだ。
それらの野菜+ジャガイモ、玉ねぎなどを
何の味付けもなしで、圧力鍋でやわらかくして、
両親に持ってきてもらったゴマドレッシングをかけて食べると
カスト ミト!(なんて おいしい!)幸せ!!
体もあったまるし、野菜もいっぱい食べられるし、なんといっても
切って、圧力鍋にかけるだけの簡単蒸野菜、流行らないわけがない。
さらに、煮豆やぜんざいなどもこの時期、作りたくなるのである。

ふたつ。
三線。
夜の長いこの時期、室内でいかに有意義に過ごそうか。
読書、DVDや音楽鑑賞といろいろしているが、
最近始めた三線がおもしろくなり、練習している。
あまり夜遅いと、ホームステイ先のブバアマ(父母)に迷惑なので
ほどほどにして、朝にも練習しているのである。
始めたばかりなので、まだ全然うまくないが、
少しずつうまく弾けるようになっているので、楽しい。
只今「安里屋ユンタ」練習中。

テレビやネットなどがない生活は私に時間を与えてくれ
料理を初め、読書や語学学習など日本ではしなかったこと、
できなかったことができるようになり、喜びを感じている。

光陰矢のごとし


ナマステ ウッジョールです。

11月が終わってしまった。
2011年もあと1ヶ月。
なんて、早い!!!!
月日とは何故こんなに早く過ぎ去ってしまうものなのか?!
歳をとってきたからかー?!

私のネパール生活も4ヶ月を切ってしまった。
最近、みんなに「後何ヶ月?」と聞かれ、その後、必ず
「日本帰った後、私たちのこと思い出してくれるの?
すぐ忘れるんじゃないの?今度いつ来るの?」と質問される。
この質問は、好きではない。
少なくともまだ、4ヶ月は残りがある。
私としては、滞在中にみなさんとできるだけ多く交流、活動したいと思っている。
特に「今度いつ来るの?」はきつい質問である。
帰った後、本当にすぐ来れると思っているのか、社交辞令なのか?

なので、私はこの質問をされると
「帰った後のことより、ネパールに住んでいる間、みんなと
楽しく過ごすことのほうが大事でしょ!」と答えている。
ネパールに住んでいる今をどう過ごすか、私にとって一番重要なことだ。

残りの1ヶ月、今年を振り返り今までの活動がどうだったか反省したいと思う。
そして、残り3ヶ月で、ネパール生活をどう締めるか、考えねば。
まだまだ、やりたいことやり残していることがたくさんある。

サマッシャー ウテョ(問題発生)


ナマステ ウッジョールです。

ただ今、巡回中の学校を強化指導中。
この学校で、問題発生!
公開授業と教材作りの日が後1週間と迫ってきているこの時期に
校長から「日程を変更してくれないか。」と申し出があった。
「エーーッ、今頃何故?!」
「その日は、結婚式の日と重なっているから、私も忙しいし、
他の先生たちも来られない。それに子供達も学校にくる子が少ないと思う。」と。
「まじでー、今頃になって何故それを言うか!!!!!!
そんなこともっと早くわかっていたことだろう!
こんな間近になって言うなー!!」と本当に怒りが爆発しそうだった。

ネパールの結婚式システムについて、補足します。
ネパールでは、結婚していい月と日が決まっている。
特に季節のいいこの時期の結婚できる日は、そこかしこで
結婚式が行われる。
仕事より学校より何より自分達の親族、友達の結婚を優先するネパールで
そんな日に、公開授業や教材作りなんかしても誰が来る?
来るわけがない。それは私も重々承知。
しかし、あと1週間と迫っている今に言うことじゃないやろ。
命かけるくらい時間もお金もかけてする結婚式がそんな間際にならんと
わからんということは、絶対にないやろ!
何故、もっと早くに教えてくれんのやー。
ここに、腹が立つわけだ。

今回のことで、ネパール人がいかにその日暮しで行動していることを実感した。
悲しいかな、先を見通して、計画を立てて、行動することが苦手である。
そして、考えが安易であることも。
日程を変更すればいいだけと思っている。
これを大きな問題だと思っているのは、日本人である私だけのような気がする。
日程を変更することで、
多くの人に迷惑がかかっていることはわかっているのだろうか?と疑問を抱く。

こんなことが起こるのも、ネパールラヘチャ!(やっぱりネパールだったんだ。)
そして、そのことを想定できていなかった私は、
まだまだネパリーラヘナチャ!(ネパール人ではなかったんだ。)と反省。
って、なんで私が反省しなあかんのよ!!

そんなこんなで、また気を取り直して、明日からがんばりますわー!!