2011年10月22日土曜日

アチャンマ ラギョ!(びっくりした。)


ナマステ ウッジョールです。

今日から10年生と12年生がそれぞれ別々の場所に
修学旅行に行った。
ネパールでも大きな学校やプライベートスクールでは高学年が修学旅行に行く。

10年と12年だから小学校の先生は関係ないと思うがそうではない。
ネパールでは、行きたいと思ったら、どの学年の先生でも行けるのだ。
もちろん、費用は自分持ちだが。

何が驚きかというと、当日まで誰が行くのかわからないことだ。
生徒も同じである。

少し前に校長先生が小学校の先生にも修学旅行の引率希望を募っていた。
小学校では4人の先生が希望を出し、行くことになっていたようだ。
が、しかし、問題発生!
校長先生が、「小さいバスしか手配できなかったので、
小学校の先生は遠慮してくれ。」と言われたようだ。
それに行くはずだった先生達が怒り出した。
「校長が行ってほしいというから、私たち4人、時間を作って行くと決めたのに
バスのシートがないとはどういうことだ!」と。
それを聞きつけた校長先生が、「何とかするから、あなた達も一緒に行こう。」と
怒りを治めにきた。
が、それでも怒りが治まらない先生は、昨日の時点で頑として
「私は校長にいくら頼まれても行かないから!」と言っていた。

日本では、「修学旅行」は学校行事のメインの一つである。
そんな行事は、ずーっと前から計画を立てて、引率教師も決まっている。
こんなことが起こることは、絶対にない。
だから、興奮した先生達の話を聞きながら、
内心いや外見も、あきれて物が言えないと顔をしていたと思う。
ミス(女性教師)に「校長先生、ひどいと思わない!おかしいでしょ!」と
言われたが、修学旅行の目的も学校運営のシステムもわけがわからないネパールで
何が誰がどうおかしいか、私にはさっぱり理解不能で
「I can't Understand it!!」と言うしかなかった。

そして、翌日、さらに信じられないことが起こった!!
前日まで、絶対に行かないと怒っていた先生が、学校に来ていなかった。
なぜ来ていないのか尋ねたら、何と!
「修学旅行に行った。」とのこと。何がどうなってこうなったのか
わからないが(わかりたくもないが)、
ほんまにアチャンマ ラギョ!!

一番、信じられず、許せないのは、小学生は学校に来ているのに
それをほったらかして、修学旅行に行ってしまう先生、学校を開けていることを
わかっているのに、小学校の先生にも引率依頼をする校長先生。
とにかく先生達の行動が一番、信じられないのである。
残念だが、先生達の前に子どもの姿はなく、
自分しかいないことがわかった瞬間であった。

2011年10月21日金曜日

キャンパスマ パラエコ(キャンパスで教えた)

ナマステ ウッジョールです。

私の任地のセンター校は12年生まである。
11,12年生は高校を卒業した後に通う2年制のカレッジのようなものだ。
サイエンスやアカウンテン(経理)、教育などのコースがある。
そこでなんと、小学校教諭である私が教えたのである。
教育コースの数学専門を教えている先生から依頼を受けたのだ。

何を教えたかというと、ティーチングマテリアルについてである。
私がネパールに来てから作った1,2年生で役立ちそうな教材を紹介し、
使い方を教えたのである。
学生を相手に久々に緊張した。
いつもは小さな子ども達相手なので、下手なネパール語でも
歌ったり、踊ったりしてカバーできるが、
1時間、ネパール語でレクチャーしなければならないのは、やはり難しい。
私にとって、かなり勉強になる時間であった。
今後も、何回か教えることになった。

今から、先生になろうとしている学生に授業方法を教えることは
ネパールにとって絶対、必要であると感じていたところだったので
こういう機会を与えてもらったことは、本当に有難い。
現場に送る前にきちんと授業技術を学ぶ制度を整えることができれば
ネパールの教育は変わって行くはずなんだけどなー。

6時から始まる授業に間に合うように5時に起きたので、眠くてしょうがない。
毎日、朝早くから起きて、学んでいる学生、教えている先生。
朝の苦手な私にとって、それだけで立派と感じてしまう。

そんな私が、朝早くから、町を歩いていると、知人は驚く。
「今日は、とても早ね!なんで?」と、
やはり早朝であっても声を掛けてくれるのである。
「キャンパスに教えに行くの。」と答えると
さらに、驚くのである。
なぜか?
ネパールでは、高学年を教えている先生がより尊敬される。
難しい勉強を教えている先生は、偉いのである。
「あなた、キャンパスの学生を教えることができるんだー!!」という驚きである。
そんなに驚かなくても・・・・。
小さくても大きくても人に教えることは、難しいことなんですけどね。

久々にいい緊張感を体験して、気持ちよかった。

2011年10月14日金曜日

ムスタン ホーストレック


ナマステ ウッジョールです。

ダサインの休みに「ムスタン」に行ってきた。
そこは、少し前まで「ムスタン王国」と呼ばれる独立した国だった。
ネパールとの戦争を繰り返し、今はネパール自治区となっている。
中国のチベット自治区に近いその地域は、ネパールと言うより
チベットである。
チベット仏教の寺院がたくさんあり、人々はチベット系の民族で
私たちと顔が似ている。話す言葉もネパール語ではなく、チベットの言葉。
(ネパール語は通じます。)

ポカラから飛行機で20分、ジョムソンというムスタン地域への
入り口にあたる町に到着。
すでに景色が違う。山に緑がなく、乾燥地帯である。
私たちは、ムスタンを馬で旅することになった。
馬で旅するなんて、なんて素晴らしい!
初めは、こわごわ乗っていたが、だんだん、慣れて楽しくなった。
馬はほんまに賢い!
私の言うことはあまり聞かないけど、馬使いである主人の言うことはちゃんと聞く。
主人が遠く離れていても、主人の声は聞き分け、勝手なことはしないのである。
10日間も馬に乗っていると、馬も私に慣れてきたのか
少しずつ言うことを聞いてくれるようになった。うれしい!
自分でパカパカと馬に乗れるようになるといいなーと憧れを抱いたのである。

ムスタンはいろいろな国を旅しているように感じさせてくれる。
行ったことないが、トルコのカッパドキアのよう。
行ったことないが、アメリカのグランドキャニオンのよう。
行ったことないが、アフガニスタンの巨大仏像遺跡のよう。
行ったことないが、古代ローマやギリシャ遺跡のよう。
でも、バックにはいつもヒマラヤ山脈が見える。
チベットでもあり、ネパールでもある。
とても不思議な感覚を味わった。
とにかく、どこにいるのかわからない気分にさせてくれる魅力的な地域である。

途中、3,500mあたりで、アンモナイトの化石探しもした。
10分くらいで、すぐ見つけることができた。
今はこんな高い地域であるが、昔は海だったんだとわかる。

自然って、ほんまにすごい!!
こんな美しく神秘的な地形や物を作れるなんて!やっぱり神様はいるのかな?

ムスタンホーストレックで、またまたネパールの奥深さを実感した。
北海道の約2倍ほどの大きさの国であるが、熱帯から寒帯の幅広い気候帯をもち、
また、砂漠状の乾燥地から、ジャングル状の多雨湿潤地もあるネパールは
本当にいろんな顔を持つ、魅力的で神秘的な国であることがわかった。
それは人々も同じで、いろいろありすぎて、ネパールを一つにまとめようなんて
無理な話ですわ!それがネパールですわ!

2011年10月11日火曜日

ダサイン ビダ(ダサイン休暇)


ナマステ ウッジョールです。

今年もネパール最大の祭り「ダサイン」の時期を迎えた。
学校も約2週間、ビダ(休み)になる。
ヒンドゥー教でないネパール在住の外国人は、
季節のいいこの時期にトレッキングや旅行に行く。

ヒマラヤ山脈のあるネパールはトレッキングを楽しむルートが
たくさんある。
私ももちろん、この時期を利用して、トレッキングに行った。
ネパールに来て、もう4回目である。
日本にいるときには、山登りやハイキングなどそれほど
好きでもなく、自分から進んでいくことはなかったように思う。

なぜ、好きになったか?
たぶん、時間をかけてゆっくり行き、最後には8.000m級の山々を眺めることが
できるからだろうと思う。
最低でも、1週間は必要とするネパールのトレッキング。
日本と時間のかけ方が違う。
あっという間に行けてしまうより、苦労しながら時間をかけて行くほうが
達成感や充実感が高く、楽しく感じる。
しかしながら、トレッキングを楽しむのは、ほぼ外国人だけで
土地柄、交通網を発達させることが難しいネパールで
山岳地帯に住んでいる現地人は、毎日がトレッキングのようで、
きっと、何を好き好んで、わざわざ疲れるトレッキングなんか行くのだろと
思っていることだろう。
私ももし、それが日常であれば、楽しいとは思わないだろう。

仕事では時間にルーズで効率よくできないネパール人に
イライラさせられっぱなしだが、
休みに関しては、伝統文化、行事を大切にそれらを時間をかけて、
お祝いするネパール人に感謝したい。

今回は「ムスタン」という地域にトレッキングに行った。
ムスタントレッキングについては、次回UPしたいと思う。