2011年12月30日金曜日

シンガポール②


ナマステ!ウッジョールです。

昨日、年内これで最後かもと言って、みなさんに挨拶しましたが、今日、書く時間があるので、更新します。

シンガポール思い出ベスト1

シンガポールに来たら、チリクラブを食べるべし!と結婚式に参列されていたチャイナ系シンガポール人に言われた。
しかし、私は一人できているので、とてもじゃないが一人で食べきれる量ではない。
そんな話をしたら、なんとその方が、
「それでは、今夜一緒に食べに行きませんか?」と誘ってくれた。
「ほんとですかー!」
初対面の方にこんなお誘いをいただいて、ほんとにいいのかしら?と。
でもその方は、「あなたは新婦の友達でしょ!あたしはあの子の先輩なのよ。あの子の友達なら歓迎するのが当たり前ですよ!」とおっしゃって、
海鮮料理のおいしいレストランに連れて行ってくれた。
シンガポールでも、また人の温かさやマヤ(愛)に触れることができた。

海鮮レストランで、私のテンションがまたまた上がったことは言うまでもない。
大きなかにのチリソース和えが出てきたときには、うれしすぎて、大声で叫んでいた。
写真ももちろん撮った。
その後も、かにのから揚げや貝のガーリックソース和えなど
おいしいものをおなかいっぱい食べた。
やっぱ、海鮮は最高だね!
おいしいもので最高に幸せになったがそれ以上に
初対面の私にこんなに親切にしていただいたシンガポールの方々に
感謝の気持ちでいっぱいだ。

おなかも心も最高に満たされた私は、ほんまに幸せ者だなと思った。
海外で生活してから、本当にいろいろな国の方々の愛をいただいていることを実感する。
ネパールでは、もちろんだが日本に帰ってからも
いろいろな方々に恩返しすることが私の任務のひとつであることを本当に実感している。

2011年12月29日木曜日

シンガポール


ナマステ ウッジョールです。
シンガポールに行ってきました。
なぜか?
学生のときに知り合った友達が結婚するということで、
招待されました。
彼女に「ネパールからだと近いでしょ?」と言われました。
私も近いかなと思ったけど、カトマンドウから5時間かかりました。
日本からとそう変わらないような気がします。
20年ぶりのシンガポール。
まったく違っていました。
ネパールから行ったので、余計にそう思ったのかも知れませんが
東京や大阪と変わらないほどの大都会でした。
私は「あんた、どこからきたん?」と思われても仕方がないほど
完全におのぼりさんでした。
見るものが、新鮮でした。
特に日本のスーパーやデパートに行ったとき、刺身やすしなど
日本食や日本食材が勢ぞろいしている様子を見て、
もう、釘付けでした。
何を見ても、わくわくしてしまいます。
こんなに自分が日本食に飢えているとは。。。。
日本人の店員さんが、「どちらからお越しですか?」とたずねるくらい
私は、それらの食材を食い入るように眺めていたんだろうなと思うと
ちょっと恥ずかしくなった。
日本に帰ったら、真っ先に刺身とすしを食べる決意を新たにした。
友達の結婚式に出席したことは、まったく書かずに、日本食のことばかり書いてしまった。
結婚式やシンガポールでのことはまたの機会に書くことにする。
もしかしたら、年内のブログ更新は最後かも知れないので
いつも私のブログを読んで下さっている皆さんありがとうございます。
1年のネパール生活が無事に終わろうとしています。
来年もみなさんにとって、よい年でありますように
では、よいお年をお過ごしください。

2011年12月22日木曜日

カトマンドウマ アヨ


ナマステ ウッジョールです。

18日にカトマンドウに上がってきた。
本当は19日に上がる予定だった。
しかし、バンダ(ストライキ)があるということで一日繰り上げてやってきた。
いつも、バンダと言いながらも、すぐに解除されたり、何もなかったりするのだが、
今回のバンダは、予定通りだった。それもネパールバンダだった。
カトマンドウ滞在中にバンダを経験したのは初めてだった。
いつもは、車の渋滞、排気ガス、クラクションでダーディーな感じだが、
バンダでは、車が一切走っていないので、クリーンで静かだった。
大通りの真ん中を歩いも、問題ない。
警察官が物物しい格好でたくさん立っているので、物騒ではあるが、
一般市民は、仕事に行けないので休みになり、うれしそうである。
バンダで車が走っていないせいか、いつもよりヒマールがきれいに見えた。
今回のバンダで何かかわったんかなー?
次の日はいつものカトマンドウだった。

そんなバンダ最中に、モルディブからネパールに遊びに来ていた隊員がいた。
19日は、何もできないネパールのバンダを体験してもらった。
20日は、タメルで買い物し、美味しいもの食べて、アサンやダルバール広場を
散策し、すっかり私が観光客だった。
いつもは撮らない写真をとりまくり、日本の友達のお土産を買いまくった。
久しぶりの買い物や観光は楽しかった。
これも、モルディブ隊の友達のおかげやねー。
話せば話すほど、モルディブとネパールは真逆のような国だ。
お互いないものねだり課も知れないが、ネパール隊は、海が魚が恋しくなる。
モルディブ隊は山が、米が野菜が恋しくなるようだ。
私はモルディブできれいな海に癒された。
モルディブ隊は雄大なヒマールに癒されたそうだ。
でも、どちらも自然に癒されているんだなー。

そんな最中、私のラップトップの調子がおかしくなった。
操作画面が開かなくなり、ほんまに壊れたかーと一時はパニックになっていた。
なぜなら、今までネパールで撮ってきた写真のデータが
すべてパーになると思ったからだ。それってショックすぎるー。
PCが壊れるより、データが無くなることのほうが、ショック大だ。
何とか操作画面がでるようになったので、ここぞとばかり
ハードディスクにデータを移し替え終えた。
ほんまにドキドキしながらの操作だった。
なぜなら途中で勝手に強制終了するからだ。
無事できたときは、うれしすぎて、泣きそうだった。
写真が無くなったからと今までのネパール生活が失われるものではないが
写真があるとないとでは大違いでしょ!
この事態に、いろいろ助けてくださった皆さんにほんまに感謝です。
(まだ、不安定PCで、完全に治っているわけではないが・・・。)

この3日間のカトマンドウ滞在で、いろんなことがありすぎて、頭が混乱状態。
モルディブの友達とネパールで再会した喜びと
PCが壊れてデータがなくなるんじゃないかという不安と
みんなから心配してもらい、
いろいろアドバイスをくれた友達がいるという安心と・・・。
人間って悲しみも喜びも一度に味わえるんやねー。

モルディブの現職隊員のみなさん、任期全うして3月に東京で再会しましょー!

2011年12月16日金曜日

ジャンタ ガヨ(結婚行列に参加した。)



ナマステ ウッジョールです。

結婚式の招待状をもらった。(前回のブログで更新済み)
だから、「ジャンタ」に参列した。
「ジャンタ」とは、新郎側が親戚、友達、同僚など一緒に
音楽を演奏しながら新婦の家まで、列を成して迎えに行くことである。
近くなら歩いて、遠ければバスをチャーターして行くのである。

今回はバス2台、そして新郎が乗る乗用車をチャーターし、
バスの上では、音楽隊が楽器を演奏しながら、行った。
途中からは、車が入れない道になったので、音楽隊を先頭に
行列を作って、歩いていった。
まさに「結婚パレード」である。

到着したら、様々な人から祝福の「ティカ」(おでこに付ける赤い粉)をもらう。
それから、きれいに着飾った新婦と一緒に
夫婦になるためのいろいろな儀式を行う。
その間、参列した人たちは、儀式を見ている人もいれば、



おいしいご馳走を食べたり、歌ったり、踊ったりしている人もいる。
長い儀式がすべて終了した後、新婦はいよいよ実家を離れ、
新郎と一緒に新郎の家に行くのである。
このとき、家族と別れるのが悲しくて、泣く花嫁が多い。今回も然り。

次の日は、新郎の家で結婚パーティーが行われる。
こうして2日間、結婚行事が行われるのである。
ヒンドゥー教徒のネパール人はほとんどがこのように結婚式をする。

昔の日本も行列を作って、花嫁は花婿の家に嫁入りしたと聞いている。
実際にその様子を見たことはないが、ネパールの「ジャンタ」に参列し、
花婿と花嫁が逆ではあるが、こんな感じだったのかなと想像することができた。

新郎新婦の末永い幸せを祈っています。

2011年12月14日水曜日

ニムタ パヨ(招待状をもらった。)



ナマステ ウッジョールです。

結婚式の招待状をもらった。
今まで、何回か結婚式に行かせてもらったが、
招待状をもらったのは初めてだった。

ネパールの結婚式は特に招待状がなくてもお祝いにいける。
食事は外でビュッフェ形式。親族や招待された人だけでなく
近所の人たちにも振舞われる。

招待状をくれた人は、学校の経理をしている25歳の若者だ。
カトマンドウで2年間、日本語を勉強していた彼は、日本語を
少し話すことができる。
日本に語学留学したくて、挑戦したが、ビザがもらえなくて、
一度、あきらめていた。
しかし、私と会い、日本語をまた勉強し始めた彼は、再度、
日本に行けるように挑戦し始めた。

矢先、結婚ですか?!

あまりにも、突然のことで、びっくりして事情を聞くと
やはり、両親の強い薦めで、断わることができなかったそうだ。
相手の人とはまだ会って、1週間ほどしか経っていないという。
写真を見せてもらったが、21歳のきれいな人だった。

ネパールの見合い結婚はだいたいがこんな感じなのだろう。
自分達の民族やカースト、家系などいろいろな条件が一致すれば
問題ないという。
愛情は、後から生まれて来るのもらしい。
私には理解しがたい問題だ。

彼の本心は、日本に行ってから、その後結婚したかったそうだが、
以前に一度、両親の薦めを断わったことがあり、待ってもらっていたから
今回は、両親の言うことに従うのだそうだ。

結婚した後でも、日本に行くための挑戦はできるから、
行けるように頑張ってみると言っていた。

そんな彼からニムタ(招待状)をもらったので、是非、出席したいと思う。
いつもは、おいしい料理だけ頂いて帰っていたので、
今回は、いろいろな儀式など見れるだけ見てみようと思う。

知り合って間もない人と結婚し、夫婦として共同生活するなんて・・・。
ネパール式見合い結婚は、私には無理だな。

2011年12月11日日曜日

アンティーム ディン(最終日)



ナマステ ウッジョールです。

12月9日(金)1ヶ月滞在した学校の最終日。
行くと何やらいつもと様子違う感じ。
いつもと同じようにまず3年生の教室に。
授業はいつもどおり始まった。
でも、いつも通り終わらなかった。
いきなり子供達から「ミス、ありがとう。」と言われ
家で咲いている、または自然に咲いている花で花束や花輪を作って、
私にくれたのである。
それも全員から。驚いたと同時にすごくうれしかった。
これが2年生1年生の教室でも同じことが起こった。
1,2,3年生は、毎日算数を教えに行ったので、子供達の名前も全員覚えているし、
それぞれの子供がどうよくなったかも知っているから、すごく愛おしく感じる。

4,5年生は数時間しか行けなかったので、申し訳ないが、
名前すら覚えることができなかった。
にもかかわらず、4,5年生の教室にも呼ばれ、
全員から花束や花輪をもらったのである。

全校生から花をもらうことなんて!ほんとうにうれしくて、幸せに感じた。
あまりにうれしかったので、また教室に行って、
お別れのミタイ(お菓子)を一人ずつ配った。
1,2,3年生は握手やハグやキスをしながら。
4,5年生は握手をしながら。

最後はみんなで写真を撮った。
帰るとき、1,2,3年生の子供達に
「ミス、行かないで!もっとこの学校にいて!」と
何度も何度も懇願された。
あの大きな愛くるしいキラキラしたおめめで、言われたら
どうしようもなく胸がいっぱいになって、
「また、絶対に来るからね!」としか言えなかった。
涙は絶対に見せまい。笑顔でお別れと決めていたから何とか踏ん張れた。
しかし、帰ってから、日記を書くとき、一人思い出し泣きをしてしまった。

先生方、子供達、みんなほんまにほんまにありがとう!

今回もまた、ネパールの人からかけがえのないものを頂いた。
貰いっ放しの私。こんなに頂いていいのかしら。
残りの任期も日々の活動でお返ししていかなければ。

Open Class In Benighat④ 二日目


ナマステ ウッジョールです。

1時間目 1年生 算数 10までの数
若い先生であるが、教師としての素質十分である。
なぜなら、子どもが好きである。
朝、授業が始まるまでの時間、子どもとよく遊んでいる。
子どもへの聞かせ方や注目のさせ方がうまい。
穏やかで、話し方がソフト、なおかつ時々、ジョークも言う。
子ども達に好かれて当然である。
さらに、頭が柔らかく、いいと思ったことはすぐに授業に取り入れ
吸収することができる。
しかし、残念ながらネパールでこういう先生は珍しい。
上から目線で声がやたら大きく、叩く怒鳴るは日常茶飯事。
私がアドバイスしても、「それはいいね」と言うだけで、何も変えない。
ベテラン男性教師は最も頭が固く、私の意見には耳も貸さず、
反論し、自分のやり方が一番だと思っている。
一番たちが悪いタイプ。
話が反れたが、もともと素質のあったこの先生は、日に日に成長を遂げ
いろいろなことをあっという間に吸収してしまったのである。
私の作った教材で自分のアイデアをどんどん出し、
子ども達に楽しく、教えていく。
だから、1年生の子ども達も、先生同様、急成長である。
はじめ、数字を読めない子、数字と半具体物の数を合わせられない子、
とにかく、何でも1から数えないと答えの出せない子。
それが今では、数字はもちろん、数を「5と1で6」というように
まとまりで捉えることができるようになっている。
だから、ほとんどの子がテンフレームの6や7、8,9を
見せてもはじめから数える子はおらず、
「5と1で6」「5と2で7」・・・というように捉え、すぐに「6!」「7!」と
答えることができる。すごい!!
日本ではこんなのできて当たり前なのであるが、
ネパールの1年生が、それもごく一般的な村の1年生の子ども達が、
これをできるのはすごいことなのである。
ネパールでは、数字と数字の読み方をメインに教えるので
数字がただの記号でしか捉えることができにくい。
3=○○○とイメージしにくい。
一番、力を入れて教えて欲しい基礎の基礎である「数の概念」を
疎かにしているので、いつまでたっても算数が苦手なのである。
学校で学んでいない両親が多いネパールで
日本のように家庭教育はまだまだ期待できない。
だからこそ、学校で数の概念をしっかり教えて欲しいのだ。
この先生は、その重要性をよく理解してくれ、
「ミスの言うように足し算、引き算より
まず数をしっかり捉えられるように教えないといけないですね。」と言って
1ヶ月、いろいろな教材を駆使して遊びながら楽しみながら
でも、要点はきちんとおさえながら、教えてくれたので
公開授業は参観者に強烈パンチを喰らわしたと思われる。
「23歳の若造にやられたー!」といった感じではなかろうか。
だから余計に、「私にもできる!」と思い、奮起してくれたに違いない。
その証拠に、多くの先生方が熱心に教材作りのトレーニングを受けてくれた。

Open Class In Benighat③


ナマステ ウッジョールです。

2つの授業を終えた後、授業反省会。
25名ほどの先生方と今日の授業について、話し合った。

とにかく、公開授業を見るのが、初めてという先生が多いので、
まずは、公開授業をすることで、どんな効果があるのかを説明した。
しかし、説明しなくても、現地のそれも同じ村でほとんどが知り合いという
とても身近な教師が教材を使いながら、うまく授業を進めているのを見て、
刺激された先方は、その効果のほどを感じたと思う。

とにかく、高価な教材ではなく、身近で手に入るものを使って、
それもわかりやすく教え、子供達が楽しみながらも
早く理解していたことを、すばらしく感じたようだ。
教師が一方的に言うだけ、板書するだけの授業では、ダメで
これから、こういった授業を取り入れて行きたいと多くの先生方が
言ってくださった。
また、この勉強会はとても役に立つので、こうした機会をもっと
作って、教師同士で高め合っていきたいとまで、言ってくださった。

授業をしてくださった先生方が一番その効果を実感しておられ、
私が何か言おうとしたら、その先生方が、私の言わんとしていることを
いち早く察知し、私の代弁者となって参観された先生方に、力説しておられた。
私、なんて楽チンなのー!
そして、ほんまに私の言いたいことがわかっているからすごい!!

教師としてどうあるべきかということを10か条にして言わせてもらった。
かなり厳しい内容もあったが、それも、私の代弁者が私の味方となって、
「みんなで、協力しながら我々は子供達のためにもっとがんばらねばならない。」と
さらに、先生方を奮起させてくれた。
ありがたやー、ほんまに感謝やわ。
教育者同士、心が通い合っていると感じた瞬間であった。

N先生、R先生、もう一人のR先生、私はあなた方と仕事ができて
最高でした。
この地域の先生方をリードしていってください。期待しています。
感謝

2011年12月9日金曜日

Open Class IN BeniGhart②


ナマステ ウッジョールです。

2時間目 2年生算数 繰り下がりの引き算
2年生の算数を教えている先生が算数担当。
当初、この先生だけ、公開授業する予定だった。
しかし、1,3年生の算数を教えている先生や校長先生が
「折角だから、みんな見せよう。」と意見が一致したので、
3クラス見てもらうことになった。
算数担当だけあって、私がしようとしていることをすぐ理解してくれ、
「ミスの方法はとてもいい。子どもがとても早く、
楽しんで、理解しているから私もこの方法を他の先生に見せて伝えるよ。」
と言ってくださった。
2年生の子どもたちも、比較的理解が早く、10の合成・分解、
繰り上がりの足し算、繰り下がりの足し算を素直に教えたとおり理解していく。
びっくりである。
何故か?
やはり、この先生の教え方、言い方がわかりやすいのである。
板書も丁寧なのである。
そして、私と一緒にやることで、教材の使い方、見せ方もうまくなり、
さらに、子どもが進んで、学習するようになった。
「先生、すばらしいですよ!」
しかし、時々起こったり叩いたりしていたので、そこが気になっていた。
だから、私はとにかく子ども達を褒めて、授業をした。(先生も褒めた。)
すると、だんだん叩く回数が減り、褒める回数が増えてきた。
「カティ ラムロ!(なんてすばらしい!)」

公開授業は、他の先生方も感心しておられた。
繰り下がりの引き算を見事に教え、子どももよく理解していた。
授業中もたくさん褒めていた。
子ども達が、できたノートを先生に張り切って見せに行く姿と
「Good」をもらってうれしそうにしている姿は、いつ見ても微笑ましく
幸せ気分になる。
どこの国の子ども達も、できなかったことができるようになった喜びや
先生に褒められて、うれしくなるのは同じなんだなと思った。
やっぱり、人は褒められて伸びるんだよー。

授業反省会のときに、私が「教師として、子どもたちの前で、
子どもを怒ったりよくないことを言ったりしないでください。
そして、子どもを叩かないでください。」と先生方に助言。
すると、この先生が「そうだよ。授業中によくないことを1回言ったら
その5倍は褒めてあげないといけないんだよ。」とおっしゃった。
この発言、私はどう解釈したらいいのか?
褒めることの効果をこの先生自ら感じ取った発言と解釈してよいのだろうか?
それとも・・・。
いいほうに考えるとこにしよう。

何はともあれ、この先生の授業は多くの先生方を刺激したことは間違いない!

Open Class In Benighat①


ナマステ ウッジョールです。

この間、結婚の日と重なるという理由から
日程を変更した公開授業、ようやく実施することができた。

前回、山奥で実施した場所とは違い
今回は、主要幹線道路沿いにある交通に便利な場所での実施。
なので、前回のようなことはなく、10:00から始まるこの会に
7人の先生が時間通り来られ、11:00までにはほぼ全員揃った。
上出来。

1時間目、3年生算数 2桁×2桁の筆算。
先生も子どもも緊張していたが、とてもがんばって授業をしてくれた。

継続して身に付けること、見通しを持って行動することが
難しいネパール人にとって、算数は苦手教科の一つである。
23×34などの答えを出すのに、どれだけ時間掛かるの!?と言うくらい
とにかく時間が掛かる。
まず、子ども達もなかなか「九九」(ネパール式の九九のようなものがある。)を
覚えられない。だから、5×6とか言っても、すぐに答えが出てこない。
5×1、5×2、5×3・・・と始めから言わないと答えが出てこないのである。
次に、位の意味をいまいち理解していないから、
出した答えをどこに書けばいいかわからない。
そして、繰り上がりの足し算がこれまたすごく時間がかかる。
さらに、1桁+1桁の計算も・・・・・。
「あはーーーーー、この子達はどれだけの難関?を突破しないと
この問題を解くことができないんだーーーー。難関が多すぎ!!」と言う
子ども達を1ヶ月、私のできるありとあらゆる手段を使って
難しすぎないように、一つずつ丁寧に教えた。
ノートもマスノートに変えた。
教師用のマス黒板のようなものも作った。
これは我ながらナイスアイデアだと思っている。
紙にマスを作って、位を書き、その上から透明のテープをラミネートのように貼る。
そうすると、それはホワイトボードのような役割をしてくれ、
ボードマーカーで何度も書き消しができるのである。

2桁×2桁の筆算ができるようになるまで、
繰り上がりの足し算方法、九九のフラッシュカードで繰り返し練習、
簡単な足し算ではこうして指を使うようにと(日本では指を使わないように教えるのだが、ここでは指を使ってでもいいから、自分で答えを導き出せるように指導。)
2桁×1桁の筆算の方法などなど、到底1ヶ月ではできない内容を
先生を含め、指導していった。

12×23のような繰り上がりがない数字で、筆算のやり方だけを
ネパールの先生と相談しながら公開授業までに4,5回は教えた。
しかし、その度に期待はことごとく裏切られ、
「あはー、今日もだめだった。」と落胆する日々。
ネパールの先生は、完全あきらめムードだった。
公開授業で、見てもらう内容を変えようとまで、言い始めた。
しかし、私は「たとえ失敗しても挑戦しましょう。子ども達を信じて!」と励ました。
そして今日の公開授業。
いい意味で、子ども達に裏切られた。
今まで、何度教えても、筆算のやり方を理解できなかった子達が
何人もできるようになったのである。本当にびっくりだ!
これも、もしかして多くの人に見られているという緊張感が
いつも以上の集中力を発揮させたのだろうか?
今まで、あきらめずしてきたことに、
ようやくうっすらと光が見えたように感じられた日であった。
そして、「子ども達はできるようになる!」と信じて教え続けることの大切さも
子ども達から教わった。
これを明日も覚えていてくれればいいんだけどなー。
先生が続けてやってくれることを信じよう!

2011年12月6日火曜日

My Boom


ナマステ ウッジョールです。

12月になってしまった。

最近、私の中で流行っているもの。
ひとつ。
蒸野菜。
ネパールも冬になってきたからか
大根、人参、サツマイモ、里芋などが手に入るようになった。
この時期、立派なカリフラワーがバザールでもわんさか売っている。
日本で、カリフラワーをおいしいと思って食べた記憶がない。
が、しかし、ネパールのカリフラワーはほんまにおいしいのである。
ネパールカナ(食事)との相性が抜群なのだ。
それらの野菜+ジャガイモ、玉ねぎなどを
何の味付けもなしで、圧力鍋でやわらかくして、
両親に持ってきてもらったゴマドレッシングをかけて食べると
カスト ミト!(なんて おいしい!)幸せ!!
体もあったまるし、野菜もいっぱい食べられるし、なんといっても
切って、圧力鍋にかけるだけの簡単蒸野菜、流行らないわけがない。
さらに、煮豆やぜんざいなどもこの時期、作りたくなるのである。

ふたつ。
三線。
夜の長いこの時期、室内でいかに有意義に過ごそうか。
読書、DVDや音楽鑑賞といろいろしているが、
最近始めた三線がおもしろくなり、練習している。
あまり夜遅いと、ホームステイ先のブバアマ(父母)に迷惑なので
ほどほどにして、朝にも練習しているのである。
始めたばかりなので、まだ全然うまくないが、
少しずつうまく弾けるようになっているので、楽しい。
只今「安里屋ユンタ」練習中。

テレビやネットなどがない生活は私に時間を与えてくれ
料理を初め、読書や語学学習など日本ではしなかったこと、
できなかったことができるようになり、喜びを感じている。

光陰矢のごとし


ナマステ ウッジョールです。

11月が終わってしまった。
2011年もあと1ヶ月。
なんて、早い!!!!
月日とは何故こんなに早く過ぎ去ってしまうものなのか?!
歳をとってきたからかー?!

私のネパール生活も4ヶ月を切ってしまった。
最近、みんなに「後何ヶ月?」と聞かれ、その後、必ず
「日本帰った後、私たちのこと思い出してくれるの?
すぐ忘れるんじゃないの?今度いつ来るの?」と質問される。
この質問は、好きではない。
少なくともまだ、4ヶ月は残りがある。
私としては、滞在中にみなさんとできるだけ多く交流、活動したいと思っている。
特に「今度いつ来るの?」はきつい質問である。
帰った後、本当にすぐ来れると思っているのか、社交辞令なのか?

なので、私はこの質問をされると
「帰った後のことより、ネパールに住んでいる間、みんなと
楽しく過ごすことのほうが大事でしょ!」と答えている。
ネパールに住んでいる今をどう過ごすか、私にとって一番重要なことだ。

残りの1ヶ月、今年を振り返り今までの活動がどうだったか反省したいと思う。
そして、残り3ヶ月で、ネパール生活をどう締めるか、考えねば。
まだまだ、やりたいことやり残していることがたくさんある。

サマッシャー ウテョ(問題発生)


ナマステ ウッジョールです。

ただ今、巡回中の学校を強化指導中。
この学校で、問題発生!
公開授業と教材作りの日が後1週間と迫ってきているこの時期に
校長から「日程を変更してくれないか。」と申し出があった。
「エーーッ、今頃何故?!」
「その日は、結婚式の日と重なっているから、私も忙しいし、
他の先生たちも来られない。それに子供達も学校にくる子が少ないと思う。」と。
「まじでー、今頃になって何故それを言うか!!!!!!
そんなこともっと早くわかっていたことだろう!
こんな間近になって言うなー!!」と本当に怒りが爆発しそうだった。

ネパールの結婚式システムについて、補足します。
ネパールでは、結婚していい月と日が決まっている。
特に季節のいいこの時期の結婚できる日は、そこかしこで
結婚式が行われる。
仕事より学校より何より自分達の親族、友達の結婚を優先するネパールで
そんな日に、公開授業や教材作りなんかしても誰が来る?
来るわけがない。それは私も重々承知。
しかし、あと1週間と迫っている今に言うことじゃないやろ。
命かけるくらい時間もお金もかけてする結婚式がそんな間際にならんと
わからんということは、絶対にないやろ!
何故、もっと早くに教えてくれんのやー。
ここに、腹が立つわけだ。

今回のことで、ネパール人がいかにその日暮しで行動していることを実感した。
悲しいかな、先を見通して、計画を立てて、行動することが苦手である。
そして、考えが安易であることも。
日程を変更すればいいだけと思っている。
これを大きな問題だと思っているのは、日本人である私だけのような気がする。
日程を変更することで、
多くの人に迷惑がかかっていることはわかっているのだろうか?と疑問を抱く。

こんなことが起こるのも、ネパールラヘチャ!(やっぱりネパールだったんだ。)
そして、そのことを想定できていなかった私は、
まだまだネパリーラヘナチャ!(ネパール人ではなかったんだ。)と反省。
って、なんで私が反省しなあかんのよ!!

そんなこんなで、また気を取り直して、明日からがんばりますわー!!

2011年11月24日木曜日

パラウダイツゥ(教えているところです。)


ナマステ ウッジョールです。

ただ今、巡回中の学校を強化指導中。
管轄36校もあるので、一つを長い期間滞在して、
指導することは、2年という期間で、とてもできない。
上司と相談し、いくつかの学校に約1ヶ月、滞在しながら
強化指導を行っている。

この学校に来て、2週間が過ぎた。
これまでは、私がメインで、私が考えた授業を先生達に
とにかく見てもらいながら、言葉や子供達のサポートをしてもらっていた。
今日から、現地の先生がメインで、私がサポート役に交代。
どんな授業をするだろうかと楽しみでもあり、不安でもあったが、
とても、驚いた。
私が、今までやってきた方法を見事に取り入れて、授業をしたのである。
説明もうまかった。
私のつたないネパール語なんかより、
ずーっと子供達にわかりやすく説明していた。
子供は、真剣にそして楽しそうに授業を受けていた。
終わった後、授業をした先生が、「今日はすごく楽しかった。
いい方法を教えてくれて、ありがとう!」と言って下さった。
うれしかった。

私が目指していたのはこれだったのよ。
私の授業法を現地の教師に理解してもらい、
それを現地教師が子供達に直に教える。
言葉にすれば、簡単なんだけど、今日に至るまで道のりは長かった。
ネパールに来て、17ヶ月。
目指していたことの第一歩がようやく、実現した瞬間だった。
2週間後、この学校で、公開授業と教材作りをする。
この先生なら、必ず、いい授業をして、
他の学校の先生達にいい影響を与えてくれるだろう。

以前一緒にした先生もそうだが、私と一緒に仕事をした先生達が
この地域の先生達を引っ張ってくれるリーダー的存在になってくれることを
願っている。(先生達にはそうなって欲しいと伝えている。)

教えるのが、「楽しーー。」と思える今日この頃。

Foot Ball


ナマステ ウッジョールです。

うちの管轄2つの村で少年フットボール大会が行われるということで、
なぜか、開会式に呼ばれ、参観させてもらった。
郡の教育長も来られていた。
参加チームは10チーム。
学校で作ったチームや有志で作ったチームなど様々。
ネパール人は、フットボールが大好き。
少しでも広場があれば、少年達はみんなフットボールで遊んでいる。

開会式もやはりネパールだった。
まず、放送機器の調子が安定しない。電気が切れる。
集まりが遅い。
選手達が集まって、並んでいても、誰も話を聞いていない。
なのに、来賓の挨拶は長い。
何をやっているのかわからないうちに、開会式は終わってしまった。

そして、第1試合が始まった。
審判、選手が一緒にフィールドに入場。
その光景に驚いた。
審判の服装は普段着にチャッパル(サンダル)、
選手はほぼ裸足。靴を履いている子のほうが少ない
ユニフォームはとりあえず、上だけは揃っている感じ。

裸足でサッカーボールを蹴るなんて・・・。
私ならすぐ骨折するだろう。
しかし、ネパール人なら大丈夫。
普段からチャッパルで急な斜面でも、
水や薪、雑草などの荷物を持って、歩いて運ぶ。
山道が普通で、子供達も野山を裸足で駆け回っている。
畑を耕す、田植え、稲刈りなど、どんな仕事も素足かチャッパルでする。
そんな仕事をしている人の足は
指が太く、底がまるで靴を履いているかのように分厚くたくましいのである。
比べてみて、よくわかる。私の足のなんと貧弱なこと。
だから、裸足でも骨折なんてしないだろう。

裸足で、ユニフォームや道具など揃っていなくても
ただひとつボールがあるだけで、大人も子供もみんなを
楽しませるスポーツ、「フットボール」は偉大だ。
フットボールは貧しくても夢や希望や喜びを与えてくれるスポーツなんだろうな。

2011年11月19日土曜日

視察団訪問

ナマステ ウッジョールです。

私の本部事務所から視察団がやってきた。
ネパールの様子や状況を取材するためだ。
そして、私の活動先にも、やってきた。
タイミングよく、巡回先の学校を訪問してもらえることになった。

2年生の授業をしている時に、いきなり4人の視察団と
その学校の先生がほぼ全員、教室にやってきたので、驚いた。
私よりも、子供達はもっと驚いたに違いない。

大きなカメラを向けられ、とても照れている子供達がかわいい。
たくさんの人がやってきたが、子供達は、興奮しすぎることもなく、
いつものように、楽しく授業をすることができた。

特に1年生は45分、1Priod全て、見てもらったにもかかわらず、
ずっと集中して、がんばってくれた。
なんて、賢いんでしょ!!
いつもできないことが、今日はできてしまった!
大きなカメラを向けられ、知らない大人が大勢が見ている緊張感が
子供達を集中させ、持っている力を発揮させたと考える。
(日本の授業参観システムって、すごいんだ!と実感。)
私も楽しくなり、いつも以上に、いろいろやってしまった。
サポート役の先生も、子供達もみんな楽しそうに授業をしていたので
心からほっとした。

普段、私の授業など見に来たこともない先生達も私の教室にやってきた。
他のクラスの子供達はどうすんねん!!
こうなることは、予想していたので、仕方ないか。

その後、インタビューされ、活動の様子や現状など、話した。
自分の活動について、いろいろ聞かれることはないので
とてもいい経験になった。
取材される人の質問の仕方がとてもいいのだろう。
自分のやってきた活動はそう悪いものでなく、
自信もっていいんじゃないか
自慢していいんじゃないかと思え、
明日からもっとがんばろうと勇気と元気をもらえた。

またまた、このような機会を与えてもらえ、感謝です。

視察団の皆さん、明日はヒマールが見えることを祈っています。
(このベストシーズンにここ最近の天候不良で来ネ中、
ヒマラヤが一度も見えていないそうだ。)

2011年11月18日金曜日

ヌハウナ ジャロバヨ!(入浴が寒い!)

ナマステ ウッジョールです。

11月16日、3日ぶりのシャワー。
だんだん、寒くなってきて、シャワーを浴びる回数が減ってきた。
入るのに、気合いがいる季節になってきた。
今まで、水で「冷たい!」と思いながらも、耐えながら浴びていたが
今日から、湯、解禁。
身体を洗った後、薬缶でわかたお湯をバケツに入れ、
少し熱めの湯を作り、最後、浴びる。
「おー、あったかい。お湯って、なんて気持ちいいのかしら!」と
今日は、久しぶりに、お湯の有難さや幸せを感じたのである。

しかし、その幸せはつかの間で、早く身体を拭いて服を着ないと
すぐに寒くなる。
その後、ご飯を作り、食べるとまた身体があったまって気持ちよくなる。
最近はこの時間に停電することが多く、
暗い中、ご飯を食べ、身体があったまってくると眠たくなる。
そして、布団へGO!もう二度と、布団の外へは出られない・・・・。

まだ、寝袋で寝ていないが、もう少し寒くなり、寝袋で寝はじめると
完全に私の冬眠生活が始まる。
朝も11時頃まで霧に覆われて、暗いしね。
夜の長い生活、寒さをいかに凌ぎながら、快適に楽しく過ごすか、
ビチャール ガルヌパルチャ(考える必要がある)

ジャンマディン マナヨ(誕生祝いをした。)


ナマステ ウッジョールです。

先生の息子さんの誕生会をするということで、招待された。
特に親しいというわけではないが、どんな風にするのか興味があったので
お邪魔することにした。

仕事が終わって夕方に訪問。
すると、同じ学校の先生方がぞくぞくとやってきた。
友達もぞくぞくとやってきた。
親戚もぞくぞくとやってきた。

お祝いするための全てのセッティングが完了した。
16歳になる息子さんは、ケーキの前で座っている。
ケーキにローソクをつける。みんなでHappy Birthdayを歌う。
その後、ローソクを消すのかと思いきや、消さなかった。
(いつ消すんやろと気になっていたが、炎がケーキの寸前になって、
ようやく消したのでホッとした。)
そして、父からやっぱり「ティカ」を付けてもらっていた。
息子は父にケーキを食べさせてあげていた。
代わる代わるいろんな人から「ティカ」をつけてもらいながら、
プレゼントももらっていた。
友達のときは、目隠しをしながら「ティカ」を付けられていた。
どこにつけられるか、わからないので、終わったときには顔中、真っ赤だった。
本人はもちろん、家族も友達も先生方もみんなうれしそうで幸せそうだった。

年に一度の誕生日、こうして産まれてきたことを祝ってくれる家族や友達がいるって
なんて素敵なことだろうと思った。
決して裕福という感じはないが、この家族は深い愛情で結ばれていることが
この一日、一緒に過ごしてわかった。
まず、夫婦の仲がすごくいい。
そして、兄弟姉妹の仲もいい。(5人いる。)
みんな、ほんまにイイ子なのよ!誰もが笑顔が素敵!
だから、友達も多いのだろう。
愛情一杯もらって育った人は、周りにも愛情を一杯降注ぐことができるのだろう。

招待してもらってよかった。
この家族から、幸せを頂いた。
そして、言うまでもなく、ネパールカナもお腹はち切れそうになるくらい頂いた。
ジャンマディン スバカマナー(お誕生日、おめでとう!)

プルカルカ グミョ(プルカルカの旅)


ナマステ ウッジョールです。

私の住んでいる郡は「ダディン」。今、そこには5人の隊員がいる。
縁あって同じ郡に住んでいるのだから、ダディンをもっとよく知り、
ダディンのために働こう!ということで
同じ郡に配属になった5人で「ダディン会」を結成!

早速、会を開催するべくダディン郡の中ほどにある「プルカルカ」で
「ガンガジャムナ祭」があるということで、メンバー4人と
知り合いのネパール人2人と一緒に行くことになった。
どこにあるか、どんなところなのか全く知らない私たちは
とにかく、一緒に行くネパール人を頼って行くしかない。
しかし、初めからハプニング続出でいったいどのなるのやらこの旅は!

予定は1泊2日。
車が出るという町に10:30頃、集合。
ハプニングその① 「車が故障して、修理中!」
「今、直しているから待機しておけ!」と。
仕方がないので、カザ(軽食)を食べ、みんなでガフ(雑談)しながら、待機。
ハプニングその②「トラックの荷台ですかー!!」
ようやく修理が終わって、車に乗れると思ったら、
なんとトラックの荷台に荷物も人もごっちゃまぜで乗せられた。
出発したのは、16時を過ぎていた。
なんとなくイヤな予感がしていたのだが、隣のおっちゃんに恐る恐る尋ねた。
「何時間掛かるの?」と。
「6時間は掛かるで!」と返答。予感的中!!やっぱりかー。
今からこのトラックで、それも山のガタガタクネクネ道を6時間も乗るのかー。
そして、やっぱりIt was very hard!
これを経験したら、どんな車にも乗れ、どこにでも行けるわー。
ハプニングその③「真っ暗で、ここどこ?」
目的としている場所に着いたのは22時を過ぎていた。
そこから、今日泊まる人の家に行くわけだが、真っ暗すぎて、何も見えない。
真っ暗の道をヘッドライトの明かりだけを頼りに歩くこと20分。
ネパール人2人が道を迷い始めた。
おいおい、知らんかったんかー。
ハプニングその④「カナ チャイナ!!(晩御飯なし)」
ようやく、たどり着いた。11時から何も食べてなかったので、
すごくお腹が空いていた。
遅くなったが、ご飯は食べられると思っていた。
しかし、遅すぎて、作っていなかったようだ。
おなか空きすぎて、眠れへんわー!!
持ってきていた日本のせんべいをみんなで食べた。しみるー。
仕方ないので、狭い部屋で4人寝た。
ハプニングその⑤「雨ーー!!」
夜中、すごい雷がなった。家が揺れるほどの。びっくりした。
そこから、雨が降り出した。
今は乾期だから雨が降るという想定は全くしていなかった。
しかし、朝までまだ時間があるし、ネパールでは長時間降ることは少ないので、
朝には止んでいるだろうと誰もが楽観して、寝ただろう。
しかし、朝になっても止んでいなかった。
ここから、まだ山の登りを1時間半歩かなければならない。
雨の中の、上りはきつい。さらに下りはもっと危険だ。
「ガンガジャムナ祭」を見るのは、無理だな。
ハプニングその⑥「行くんですかーー??!!」
お腹が空きすぎているので、先に朝ごはんを作ってもらって、
食べてから行くことになった。
その間に、雨も止むだろうということで。
空きすぎたおなかには、何でもおいしく感じた。
作ってくれたアマ(お母さん)に感謝やわ。
そうこうしているうちに、雨も小降りになり、行くことになった。
雨の降った道はやはり滑りやすくて、歩きにくかった。
トレッキングよりきつい感じがした。
ようやく着いた目的地は、すごい人だった。
それも、私たち以外はおそらくネパール人しかいないと思われる。
こんなところに、外国人が4人もいるのが珍しいのか、
すれ違うみんなに、足の先から頭のてっぺんまで、じーっと見られた。
一緒に行ったネパール人に「あそこ見て!」と言われたので
指差す方向を見たら、なんと!!山の崖っぷちに行列ができているではないか!!
「あそこまで行って、プジャ(お祈り)するんだよ。」
「えー、あの崖っぷちに行くんですかー?!」と言いながら
恐る恐る、行って見ることに。
やはり、かなり急な岩場だった。
それも近くにお清めの滝があるため、常に濡れている。
一歩一歩気をつけて歩かないと、大変なことになるような場所だ。
よくこんな場所に、神様作ったな。いや、こんな場所やから神様がいるんやろな。
そこに、たくさんのネパール人が列を作っている。
並ぶことができないネパール人はすきを見ては、我先に行こうとして割り込んでくる。
私は、それが一番怖かった。
「こんな崖っぷちで、割り込んでくるなー!!危ないやろー!!」
プジャにかけるネパール人の情熱や労力は並大抵でない。
それくらい、仕事にも力入れてくれたらいいのに・・・。
下りの崖っぷちもどんだけ怖かったことか。
ハプニングその⑦「帰れない!!」
ようやくプジャ見学も終わり、さあ帰ろうと。
ところが、バスが来ない。車も来ない。
私は、行きの6時間のトラックに乗ったときから、うすうす気付いていたけど、
やっぱり、どう考えても、今日中には、帰れないでしょう。
ネパール生活をそれなりに暮らしてきたので、なんとなく予感はしていた。
でもやっぱり今日中に帰れないと思うと、疲労を感じる。
みんなあきらめて、村の宿にもう1泊。
隙間だらけの部屋は寒すぎた。持ってきた服を全部着て寝たが、それでも寒かった。
ベットの布団も決して清潔とは言えない。
ダニ大丈夫かな?と心配しながら寝なければならない。
日本のように、宿だからと暖房器具や風呂があるわけでない。
電気すらないこともある。
必要最低限のことが足りればそれでいいのだ。
翌朝、バスに乗り、5時間かけてたどり着いた「ダディンベシ」が
すごーく都会で、2日前に出発したばかりなのに、懐かしく感じた。
みんながいたから行けたと思うし、楽しく感じられた。
これが、ネパール人と2人だったら、そうは絶対に思わないだろう。
ネパールらしいネパールでしかできない旅だった。
このグムネ(旅行)はネパール生活ベスト3に入る
かなりコアな経験だったことは言うまでもない。

2011年11月12日土曜日

ブバアマ アウヌバヨ!(両親が来た)


ナマステ ウッジョールです。

両親がネパールに来てくれた。
海外旅行の経験がないわけではないが、ツアーでなく、
添乗員のいない旅行は初めてなので、
「タイでちゃんとトランジットできるのか?」
「ちゃんと飛行機に乗っているのか?」などなど、とても心配だった。

カトマンドウの空港で待っている間も、ドキドキしていた。
ゲートから出てくる2人の姿を見て、ほんまにホッとした。
来るまでに、いろいろ大変だったようだが、とにかく無事、到着して
ネパールで約1年半ぶりの再会を果たしたことが、なによりうれしい。

10日間の滞在で、両親に私の任地や職場、
ヒマラヤ、ブッタの生誕地、現地の様子などを見てもらおうと
いろいろプランを作って、一緒に旅行した。
こんなに長く一緒に旅行したことは、おそらく初めてだろう。

私の任地では、たくさんの方に歓迎してもらい、大家さんや私の生活ぶりを見て、
「生活は便利ではないかもしれないが、
周りにいい人たちがたくさんいるから、とても安心した。」と、両親が言ってくれた。
そして、現地の方の生活様式を見て、
「日本の50年前を思い出す。自分の小さい頃の生活とよく似ていて、懐かしい。」とも。
ネパールの棚田を見て、
「日本の比じゃない。よくあんな山奥まで作ったなー。」と感心していた。
ルンビニ(ブッタの生誕地)やパシュパティナートというヒンドゥー教の寺院を見て、
ネパールでは生死がとても身近で、輪廻転生などを深く感じることができ、
死に対する考え方も変わるなー。」など悟りを開いたかのように話していた。

両親にとって、道も車もよくないネパールでは、移動がとてもきつかったと思う。
私が予約した山の上のホテルも舗装されていないでこぼこ道で、
行きながら、「ほんまにこんなところにええホテルがあんのかー。」と父に言われ、
「ネパールでは、この道、普通やし、別に悪くないんやけど。」と言いながら
この道が普通と思っている自分は、もうネパール感覚になっていると感じた。
到着後、父も母もそのホテルをとても気に入ってくれたので、よかった。
この旅で、何度も日本住む両親とネパールに住んでいる自分とで、
感覚のずれがあると感じ、ネパール側にいる自分を実感させられた。
しかし、ネパール人といるときは、自分が日本人であることを
ひしひしと感じさせられることが多々あるわけで。

両親と一緒に旅することで、また違うネパールを知ることができた。
普段では行けないホテルやレストランに行けたり、おいしいものを食べたり
できたのも、両親が来てくれたおかげだ。

10日間中も、いろいろなハプニングがあったが、両親とこんな長い海外旅行は
二度とないだろう。それもネパールは。
そう考えるとやっぱり、時間を作って来てくれて、わがまま娘に親孝行の場を与えてくれた両親に感謝です。ダンネバード!!
無事日本に到着の連絡をもらい、私のネパールガイドの役目も無事終了。

2011年10月22日土曜日

アチャンマ ラギョ!(びっくりした。)


ナマステ ウッジョールです。

今日から10年生と12年生がそれぞれ別々の場所に
修学旅行に行った。
ネパールでも大きな学校やプライベートスクールでは高学年が修学旅行に行く。

10年と12年だから小学校の先生は関係ないと思うがそうではない。
ネパールでは、行きたいと思ったら、どの学年の先生でも行けるのだ。
もちろん、費用は自分持ちだが。

何が驚きかというと、当日まで誰が行くのかわからないことだ。
生徒も同じである。

少し前に校長先生が小学校の先生にも修学旅行の引率希望を募っていた。
小学校では4人の先生が希望を出し、行くことになっていたようだ。
が、しかし、問題発生!
校長先生が、「小さいバスしか手配できなかったので、
小学校の先生は遠慮してくれ。」と言われたようだ。
それに行くはずだった先生達が怒り出した。
「校長が行ってほしいというから、私たち4人、時間を作って行くと決めたのに
バスのシートがないとはどういうことだ!」と。
それを聞きつけた校長先生が、「何とかするから、あなた達も一緒に行こう。」と
怒りを治めにきた。
が、それでも怒りが治まらない先生は、昨日の時点で頑として
「私は校長にいくら頼まれても行かないから!」と言っていた。

日本では、「修学旅行」は学校行事のメインの一つである。
そんな行事は、ずーっと前から計画を立てて、引率教師も決まっている。
こんなことが起こることは、絶対にない。
だから、興奮した先生達の話を聞きながら、
内心いや外見も、あきれて物が言えないと顔をしていたと思う。
ミス(女性教師)に「校長先生、ひどいと思わない!おかしいでしょ!」と
言われたが、修学旅行の目的も学校運営のシステムもわけがわからないネパールで
何が誰がどうおかしいか、私にはさっぱり理解不能で
「I can't Understand it!!」と言うしかなかった。

そして、翌日、さらに信じられないことが起こった!!
前日まで、絶対に行かないと怒っていた先生が、学校に来ていなかった。
なぜ来ていないのか尋ねたら、何と!
「修学旅行に行った。」とのこと。何がどうなってこうなったのか
わからないが(わかりたくもないが)、
ほんまにアチャンマ ラギョ!!

一番、信じられず、許せないのは、小学生は学校に来ているのに
それをほったらかして、修学旅行に行ってしまう先生、学校を開けていることを
わかっているのに、小学校の先生にも引率依頼をする校長先生。
とにかく先生達の行動が一番、信じられないのである。
残念だが、先生達の前に子どもの姿はなく、
自分しかいないことがわかった瞬間であった。

2011年10月21日金曜日

キャンパスマ パラエコ(キャンパスで教えた)

ナマステ ウッジョールです。

私の任地のセンター校は12年生まである。
11,12年生は高校を卒業した後に通う2年制のカレッジのようなものだ。
サイエンスやアカウンテン(経理)、教育などのコースがある。
そこでなんと、小学校教諭である私が教えたのである。
教育コースの数学専門を教えている先生から依頼を受けたのだ。

何を教えたかというと、ティーチングマテリアルについてである。
私がネパールに来てから作った1,2年生で役立ちそうな教材を紹介し、
使い方を教えたのである。
学生を相手に久々に緊張した。
いつもは小さな子ども達相手なので、下手なネパール語でも
歌ったり、踊ったりしてカバーできるが、
1時間、ネパール語でレクチャーしなければならないのは、やはり難しい。
私にとって、かなり勉強になる時間であった。
今後も、何回か教えることになった。

今から、先生になろうとしている学生に授業方法を教えることは
ネパールにとって絶対、必要であると感じていたところだったので
こういう機会を与えてもらったことは、本当に有難い。
現場に送る前にきちんと授業技術を学ぶ制度を整えることができれば
ネパールの教育は変わって行くはずなんだけどなー。

6時から始まる授業に間に合うように5時に起きたので、眠くてしょうがない。
毎日、朝早くから起きて、学んでいる学生、教えている先生。
朝の苦手な私にとって、それだけで立派と感じてしまう。

そんな私が、朝早くから、町を歩いていると、知人は驚く。
「今日は、とても早ね!なんで?」と、
やはり早朝であっても声を掛けてくれるのである。
「キャンパスに教えに行くの。」と答えると
さらに、驚くのである。
なぜか?
ネパールでは、高学年を教えている先生がより尊敬される。
難しい勉強を教えている先生は、偉いのである。
「あなた、キャンパスの学生を教えることができるんだー!!」という驚きである。
そんなに驚かなくても・・・・。
小さくても大きくても人に教えることは、難しいことなんですけどね。

久々にいい緊張感を体験して、気持ちよかった。

2011年10月14日金曜日

ムスタン ホーストレック


ナマステ ウッジョールです。

ダサインの休みに「ムスタン」に行ってきた。
そこは、少し前まで「ムスタン王国」と呼ばれる独立した国だった。
ネパールとの戦争を繰り返し、今はネパール自治区となっている。
中国のチベット自治区に近いその地域は、ネパールと言うより
チベットである。
チベット仏教の寺院がたくさんあり、人々はチベット系の民族で
私たちと顔が似ている。話す言葉もネパール語ではなく、チベットの言葉。
(ネパール語は通じます。)

ポカラから飛行機で20分、ジョムソンというムスタン地域への
入り口にあたる町に到着。
すでに景色が違う。山に緑がなく、乾燥地帯である。
私たちは、ムスタンを馬で旅することになった。
馬で旅するなんて、なんて素晴らしい!
初めは、こわごわ乗っていたが、だんだん、慣れて楽しくなった。
馬はほんまに賢い!
私の言うことはあまり聞かないけど、馬使いである主人の言うことはちゃんと聞く。
主人が遠く離れていても、主人の声は聞き分け、勝手なことはしないのである。
10日間も馬に乗っていると、馬も私に慣れてきたのか
少しずつ言うことを聞いてくれるようになった。うれしい!
自分でパカパカと馬に乗れるようになるといいなーと憧れを抱いたのである。

ムスタンはいろいろな国を旅しているように感じさせてくれる。
行ったことないが、トルコのカッパドキアのよう。
行ったことないが、アメリカのグランドキャニオンのよう。
行ったことないが、アフガニスタンの巨大仏像遺跡のよう。
行ったことないが、古代ローマやギリシャ遺跡のよう。
でも、バックにはいつもヒマラヤ山脈が見える。
チベットでもあり、ネパールでもある。
とても不思議な感覚を味わった。
とにかく、どこにいるのかわからない気分にさせてくれる魅力的な地域である。

途中、3,500mあたりで、アンモナイトの化石探しもした。
10分くらいで、すぐ見つけることができた。
今はこんな高い地域であるが、昔は海だったんだとわかる。

自然って、ほんまにすごい!!
こんな美しく神秘的な地形や物を作れるなんて!やっぱり神様はいるのかな?

ムスタンホーストレックで、またまたネパールの奥深さを実感した。
北海道の約2倍ほどの大きさの国であるが、熱帯から寒帯の幅広い気候帯をもち、
また、砂漠状の乾燥地から、ジャングル状の多雨湿潤地もあるネパールは
本当にいろんな顔を持つ、魅力的で神秘的な国であることがわかった。
それは人々も同じで、いろいろありすぎて、ネパールを一つにまとめようなんて
無理な話ですわ!それがネパールですわ!

2011年10月11日火曜日

ダサイン ビダ(ダサイン休暇)


ナマステ ウッジョールです。

今年もネパール最大の祭り「ダサイン」の時期を迎えた。
学校も約2週間、ビダ(休み)になる。
ヒンドゥー教でないネパール在住の外国人は、
季節のいいこの時期にトレッキングや旅行に行く。

ヒマラヤ山脈のあるネパールはトレッキングを楽しむルートが
たくさんある。
私ももちろん、この時期を利用して、トレッキングに行った。
ネパールに来て、もう4回目である。
日本にいるときには、山登りやハイキングなどそれほど
好きでもなく、自分から進んでいくことはなかったように思う。

なぜ、好きになったか?
たぶん、時間をかけてゆっくり行き、最後には8.000m級の山々を眺めることが
できるからだろうと思う。
最低でも、1週間は必要とするネパールのトレッキング。
日本と時間のかけ方が違う。
あっという間に行けてしまうより、苦労しながら時間をかけて行くほうが
達成感や充実感が高く、楽しく感じる。
しかしながら、トレッキングを楽しむのは、ほぼ外国人だけで
土地柄、交通網を発達させることが難しいネパールで
山岳地帯に住んでいる現地人は、毎日がトレッキングのようで、
きっと、何を好き好んで、わざわざ疲れるトレッキングなんか行くのだろと
思っていることだろう。
私ももし、それが日常であれば、楽しいとは思わないだろう。

仕事では時間にルーズで効率よくできないネパール人に
イライラさせられっぱなしだが、
休みに関しては、伝統文化、行事を大切にそれらを時間をかけて、
お祝いするネパール人に感謝したい。

今回は「ムスタン」という地域にトレッキングに行った。
ムスタントレッキングについては、次回UPしたいと思う。

2011年9月23日金曜日

ペット プギョ!(おなか、いっぱい!)


ナマステ ウッジョールです。

任地で知り合いが増えれば、増えるほど、お腹いっぱいになる。
なぜなら、通りすがりに、呼ばれ、行くと
カジャ(軽食)やチヤ(甘い紅茶)ご馳走してくれる。

仕事からの帰り道、まっすぐ帰れば、15分の距離を
呼ばれるがまま行くと、2,3時間かかることもある。
まっすぐ帰れることは、ほぼないと言ってよいかも!?
日によって、カジャもチヤもなく、ガフ(雑談)だけで、終わることもある。
(そのほうが有難いときもある。)

しかし、今日はカジャが、重なった。
1回目、学校でカジャが出た。アンラとタルカリ(いりたまごと野菜)
2回目、スタッフミーティングでカジャが出た。
それも今日に限ってマスチウラ(鶏肉と乾し飯)で豪華!
3回目、ミーティングが終わった後、
先生のうちに呼ばれてモイ(ヨーグルトジュース)と自家製ケラ(バナナ)
もうすでにお腹いっぱいだが、自家製ケラは甘くておいしいのだ。
もうないだろうと思っていたら
4回目、家の近くのミス(女性の先生)のおじいさんが亡くなったので、
セルロティーとアチャール(米粉で作ったドーナツのようなものと漬物)を
食べて行って欲しいと言われ、ほんまにお腹いっぱいだったが、
人が亡くなって作られる食べ物を断わるわけにはいかず、頂いた。

帰ったときには、お腹いっぱい過ぎて、動けなかった。
今日は、夕食作らずに済んだ。
こんなことは、ネパールではよくあることだが、
こうしてたくさん呼んでもらえるということは、
私も任地に溶け込んで、現地の人に認識してもらっている証拠かな?!
ありがたやー!
しかし、食べ過ぎ注意せねば。

2011年9月21日水曜日

ブカンパ アヨ(地震が来た)

ナマステ ウッジョールです。

ネパールにも地震が起こった。
近くのパサル(店)で、買い物をしていたとき、何か揺れるなー、
トラックの振動?と思っていたら、地震だった。
体感的に震度2か3くらいだと思う。

地震よりもネパール人の反応に驚いた。
外にいて気付いた人が、大きな声で「地震だー!!」と叫び、
その声に気付いたみんなは、家からあわてて、飛び出してきた。
それから、しばらく大騒ぎになり、自分がどこで何していたら
地震が来た。車の振動かと思った。すごい揺れた!などなど
それぞれが、自分の状況をそれぞれで話し始めた。(誰も聞いていないが・・・)

とにかく私の任地では、何事もなく、「地震があったね。」という程度で済んだ。
しかし、震源地となったインドのシッキム州では、なくなった方もいる。

日本では、台風の被害か大きかったと聞いている。
どこにいるから安全ということは、絶対にない。
人は自然の前では無力である。
しかし、どこにいても危険を回避できる方法はいくらでもあると思う。
自然をよく知ることも大事なことだと思う。
今ここにいることを感謝し、人工的なものを過信せず、
いざという時、人の本能的な潜在能力が発揮できるような人になりたいなーと
思う今日この頃。

台風、地震、また世界中で起きている紛争や事件などで被害にあわれた方々、
心よりお見舞い申し上げます。

2011年8月31日水曜日

ティーズ(女性のお祭り)


ナマステ ウッジョールです。

今日はティーズという女性のお祭り。
どんな祭りか簡単に言うと、女性が伴侶の健康や長生きを願う祭りだ。 ヒンドゥー教の教えから来ている行事の一つである。
既婚者はだんなのため、未婚者は婚約者や彼氏、または好きな人のために、
神様に健康安全延命祈願するのだ。

では、どのようにするのか?
女性はみんな赤いサリーをまとい、ここぞとばかり着飾る。
その日は、日の出とともに、何も食べずに過ごす。
水も飲んではいけないらしい。
その代わり、前夜に力がつく食べ物をたんまり食べる。
「キール」というミルク粥や「ギウ」という牛や水牛のミルクから作った
バターのようなものを、ご飯にかけて食べる。
この2つは私にとって、苦手No1.2を争う。
「キール」はとにかく甘ったるいのである。
「ギウ」はかなり動物くさいのである。
(食べられないわけではないが、できるだけ避けている。)

マンディール(ヒンドゥー教の寺院)や村の集会所などに
集まり、自作の歌を披露したり、踊ったりするのである。
歌は女性の思いがたんまり詰まっている。
例えば、「出稼ぎに行っているだんなのことを、毎日心配しているが
だんなからは、連絡がない。私がこんなに思っているのに、どうして
彼は、何も言ってこないの?」とか、
「昨年は、親が亡くなり、子どもも病気になり、つらいことがたくさん
あった。どうか今年は、家族が元気でいられますように。」と言ったようなことを
自作し、日頃の鬱憤(?)や悲しみなどを歌にして歌い、
ストレスを発散しているとともに、
女性達でそれぞれの思いを共有し合っているように思う。
とても、共感できる歌を歌った人には、大きな拍手がおこる。

私からすると、なんで女性だけが、
男性の健康安全延命の祈願をするのか。それも、何も食べないで。
男性は普通に食べているし、その日の食事はもちろん女性が作るわけで。
男性も同じようにすればいいのに・・・と思ってしまう。(外国人感覚かな?)

一方で、昔からの行事をとても大切にし、守っていることは素晴らしいと思う。
ネパール人は自分達の伝統行事をとても誇らしく思っている。
多くのネパール人が、日本でも、同じ行事があると思っている。
(これには、びっくり!)

とにかく、ヒンドゥー教徒の女性にとって、
とても大切な伝統行事であることは間違いないし、
この日を待ち望み、楽しみにしていることも間違いない。

2011年8月27日土曜日

タマ(たけのこ)


ナマステ ウッジョールです。

ネパールには、たけのこがある。
竹のときは、「バンス」と呼ばれ、たけのこは「タマ」と言う。
竹林があるので、たけのこがあって、当然である。

この間、うちの近くのタルカリ(野菜)バザールに
たけのこが売っていた。
日本は、春先に出回るが、ネパールは今の時期らしい。

ためしに、小さいのをひとつ買ってみた。
20ルピー(約25円)だった。

買ったものの、日本でたけのこの煮物など作ったことがなく
どうすれば、いいかわからなかったが、
母がしていたことを思い出しながら、やってみた。

灰汁をぬくために、灰を入れるといいということは知っていた。
灰はすぐ手に入る。
なぜなら、田舎の家ならほとんど、かまどでご飯を作っているから。

早速、ブバ(お父さん)に頼み、灰をもらった。
ブバが、「なんに使うのか?」と聞くので、「タマの灰汁をぬくために」と
答えると、「日本でもそうするのか?」と言った。
「えっ、ネパールでも?!」
同じ方法で、灰汁をぬくことを知り、びっくりしたし、うれしかった。
たけのこを食べることも、灰汁のぬき方も同じであった。

ネパールは、灰汁をぬいた後、塩やマサラで漬物のようにし、保存する。
すると、すっぱくなる。
それを、じゃがいもなどと一緒に煮て、カレーにする。おいしいよ!

しかし、私は日本風の煮物を作った。
初めてにしては、まずまずだった。母の味には、まだ遠いが、
また一つ、ネパールに来て、作れるようになった料理が増えた。
日本に帰ったら、ちゃんと母にたけのこの煮物の作り方を教わろうと思った。

2011年8月23日火曜日

デレイディンパチ②

ナマステ ウッジョールです。

日本から来てくれた友達の救援物資を早速、いただいた。
昨日は、うどんを作り、今日は海草サラダに紀州の梅干をのせ、
青じそドレッシングをかけて、いただいた。
さらには、いかみりんをおやつとして、食べた。
どれもこれも、久しぶりに味わう、日本の味だった。
懐かしいー。そして、うまーい!!

ネパールカナ(食事)もうまいけど、
やっぱ、日本食はホッとする。
私は、日本人なんだなーと実感した。

ネパール人は、暑くても、冷たいものをあまり食べない。
もちろん、田舎では電気が少なく、冷蔵庫があまり普及して
ないこともあるが、そうめんやざるそばのような、
夏にさっぱりとしたものを食べる習慣はない。
むしろ、暑い時期には暑いもの、辛いものを食べ、
汗をいっぱいかいて、涼しくしている。

涼の取り方も、国によって様々である。

今回は、汁のうどんを作ったが、次回はざるうどんを作ろうと思う。
わさびがないのが、残念だが、しょうがでも十分堪能できるはず。

友達のおかげで、さらネパール生活が潤い、充実できそうだ。
とても小さなことでは、あるが
「帰ったら、うどん作って食べよう。」
「梅干で疲れとろー。」と考えたら、仕事もがんばることができるでしょ!?

2011年8月21日日曜日

デレイディンパチ(久しぶり!)


 ナマステ ウッジョールです。

日本から、私の友達がネパールに来てくれた。
ツアーの合間をぬって、カトマンドウの「ボジャングハリ」という
ネパールダンスを見ながらネパールカナ(食事)ができる
高級なレストランで再会した。
約1年半ぶりに会った。
すごく、久しぶりで、それもネパールで再会できたことが
ほんまに、うれしかった。
3人で関西弁丸出しで、しゃべることができたのも、うれしい。

ネパールに来てから、ダンス観賞しながら食事ができるレストランに来たのも
初めてだった。
完全に観光客化した。
それもまた、新鮮な感じがした。

さらにうれしいことに、日本からの救援物資をいっぱい持ってきてくれた。
日本のお菓子がたくさん入っていた。
うまいぼう、懐かしい。
ネパールでもスナック菓子は、手に入る。
しかし、日本のお菓子はほんまにクウォリティーが高いのである。
ちょっとした、気配りがほんまに細かくて、
そのちょっとしたところに、日本の技術や品質の高さを感じるのである。

この救援物資からも、日本の友達のちょっとした気配りや気遣いが
手に取るようにわかり、ありがたさや温かさが身にしみたのである。

ほんまにありがとう!

2011年8月17日水曜日

ムサアヨ!(ねずみが来た!)

ナマステ ウッジョールです。
旅行から帰ってきたら、部屋がムサに荒らされていた!
布団やシーツなどは、食いちぎられ、穴だらけ。
食品を保存していた袋も、かじっていた。
幸い、食品被害は、保存を厳重にしていたので、
最小限におさえられたが、このムサめー。

とにかく、様子を見ようとしばらく要観察。
夜中になにやら、カサコソと音がする。
懐中電灯をあてると、いた、ムサが!
それも2匹、私の部屋を、ぐるぐると走り回っているではないか!
以前からも、ムサはいたが、私が電気をあてると
すぐに、逃げていた。なのに、今回は、電気をあてても、
全く逃げる様子も無く、私の目の前を堂々と走り回っている!
何たること!!
これは、だめだ。即、作戦決行。
毒入りビスケットを部屋に置いて、2,3日様子を見ることに。

明らかに、置いたときより、小さくなっている。
「よしっ、食べてるな。」
しかし、相変わらず、ムサはやってくる。
毒が効いていないのか?

次の対策を練るべきか考えていたが、必要なかった。
今日、朝起きて、私の食料保管棚を開けると、いた!!!またムサが。
さすがに私もびっくりした。
寝てるのか?いや、死んでいる。
よく見ると、小さくてかわいいのだが。
かわいそうだが、私の健康のため、あの世に行ってもらった。
毒は効いていたようだ。
よりによって、私の部屋で死ななくてもいいのに。
これで、しばらくは、安心できるかな?!

ネパールに住んでいる間、ムサ対策は怠らないよう気をつけよう。

フェリ ガエン(再び 行った)


ナマステ ウッジョールです。

約半年振りに、前回、巡回した学校に行った。
すると、いきなり、子ども達が、
「チエ マエダミース!」と呼んでくれた。
(ネパールでは女性の先生をMissと呼ぶ)

びっくり!!
「なんで?私の名前、覚えてくれていたんだー!!」
この学校には、半年前、2日だけ行っただけだった。
それなのに、私の名前を、それもフルネームで覚えていてくれた。
うれしい!

さらに、うれしいことに、私が前回したゲームも
覚えていてくれた。
そして、「また、しようよ!ミスが教えてくれた遊びは面白いよ。」と。
たった、2日行って、子ども達と過ごしただけなのに
こんなに、覚えていてくれているとは。

巡回指導型で活動している私は、2日だけ行っても、
あまり効果がないと感じていたが、
「そんなことはない。先生達にはあまり効果がないかもしれないが
子ども達には、私がしたことが、印象深く、強く残っているんだー。」と
感じた。

だから、短い期間であっても、その時、
私ができる精一杯のことをすれば、子ども達には何らかの効果があると。
子ども達の底知れぬ能力を信じて、がんばろうと思った。

ありがとう!私にまたやる気を起こしてくれた子ども達に
フェリ ダンネバード(Thank you again!)

2011年8月13日土曜日

エクバルサバヨ(1年たったどー)

ナマステ ウッジョールです。

任地に来て、1年が経ってしまった。早い!あまりにも早すぎる!!
1年前の日記を読み返してみる。

不安だらけの内容である。
表向きは、大丈夫、何とかがんばってるよ、ぼちぼちゆっくりとあせらず。
といった感じで、両親、友達などに伝えていたように思う。
確かに、その時は、不安な気持ちを抱えながらも
必死で、この未知の世界で何とか暮らしていこうと
自分に言い聞かせ、不安な気持ちを閉じ込めようとしていたのも事実。
日記には、正直な気持ちを書いていたんだと思いながら
改めて、1年前の自分を思い返してみる。

確かに、全く知らない土地に一人ぽつんと落っことされた状態だった。
知り合いは誰もいない。家もすぐには見つからず、仕事もうまく行かず、
言葉も全然、うまくしゃべれない、聞き取れない、そんな状態だった私が
よく1年、ここで暮らせたなと驚きである。

そして、1年たった今は、村の人はみんな私を知っていて、
仕事もボチボチ軌道に乗り、いろいろな学校の先生達から
「今度、いつうちの学校に来てくれるの?」と声をかけられ、
言葉も1年前よりはうまくしゃべり、聞けるようになり、
ネパール人と普通に会話できている自分に驚く。

1年という月日がこんなに自分を成長させてくれるんだと
大人になってから、これほど実感できた1年はないように思う。
ほんまに、いろんなことに感謝したい。
そして、がんばった自分もほめてあげたい。

残り、7ヶ月。
ネパール人とともに、ネパール生活をエンジョイし、
プギョ!(ネパール満喫しすぎて、もうおなかいっぱい!みたいな感じ)と
思えるような活動をするどー!!


2011年8月12日金曜日

バヒラマ(外に)


ナマステ ウッジョールです。

7月3日から、約1ヶ月、夏休みだった。
先生も、もちろん休みだ。
なので、私はネパールから初海外旅行に出掛けた。
私たちは、どこにでも行けるわけでなく、行ける国が決められている。
そこから、チョイスし、私は「スリランカ、モルディブ、インド」と
欲張って、25日間、3国も行ってしまった。

同じアジアにある国だが、やはりどの国も様子が違っていた。
一番イメージが違った国は、モルディブだ。
モルディブと聞けば、海がきれいでリゾートのイメージが強い。
もちろん、海はもうこの世の世界とは思えないくらい美しかった。
いろいろな魚が、たくさん泳いでいた。まさに竜宮城の世界だった。

何が違うかというと、村人の住む島とリゾートの島がはっきり分かれているところだ。
今回、私はどちらも訪れた。
同期隊員のいる島とリゾートは、まさに別世界だった。
地元民が住む島は、イスラム教の教えを守りながら生活している文化、習慣などを
肌で感じることができる。
ちなみに、モルディブはイスラム教を国教としているので、
イスラム教徒100%なのである。

一方、リゾート島は、観光用に作られた島なので、
住人はおらず、外国人観光客と働いている人だけがいるのである。
リゾートでは、贅沢な時間を過ごすことができ、いい気分を味わうことができた。
しかし、何か違和感を感じる自分がいることにも気が付き、変な気分だった。

ネパールにいる私にとって、リゾートのモルディブは
協力隊は必要か?と正直、思ってしまうが
モルディブ同期隊員の話から、モルディブはモルディブで
いろいろな問題があるんだなと感じた。

今回行った3国は正直、どこもネパールよりずいぶん、
開発が進んでいる国だと感じた。
外から、ネパールを見ることで、また違ったネパールを感じることができた。
開発は遅れているかもしれないが、カトマンドウに着いた時
何故かホッとし、懐かしさを感じた。
1年住んで、ネパールが第2の故郷になったことは確かなようだ。

きっとこんな旅は二度とできないだろうなー。
今回も、貴重な経験ができたことを、いろんな人に感謝し、
また、新たに、ネパールで活動がんばるぞー!!

2011年7月6日水曜日

日本食

ナマステ ウッジョ-ルです。

夏休みに入り、カトマンドウへあがってきました。
上がってきたとたん、日本食三昧です。

初日、仕事でお世話になっている日本人のご夫婦宅で
焼き鳥、餃子、ポテトサラダ、散らし寿司をご馳走になりました。
あまりの美味しさに「どうやって作られたんですか?」と
尋ねたところ、なんとこれらの料理はネパールのコックさんが
作られたとのこと!
「うっそー、信じられない!!」
本当に美味しかったから、ビックリしました。
日本人好みの味を知っていらっしゃる。

2日目、タメルにある日本食レストランへ
レストランというより、居酒屋風な感じで落ち着くお店です。
そこで、私は天丼を食べました。
その天丼も日本で食べるのと変わらない、(いやそれより美味しいかも?!)
味で絶品でした。
日本人の経営しているお店だとばかり思っていました。
が、しかし、実はネパール人の経営しているお店だったのです。
そこでもまた、ビックリしました。
彼らもまた、日本人の好みを知っていらっしゃる。
この店のメニューは本当に何でも美味しいのです。
特に、ラーメンなんかは日本そのもです。

カトマンドウの日本食のクウォリティーの高さに驚く私でした。

2011年7月2日土曜日

とうもろこし畑


ナマステ ウッジョールです。

「ザワワ、ザワワ、ザワワー、広い砂糖きび畑は~」
今、この歌を思い起こさせる風景が、あちらこちらにある。
サトウキビ畑ではないが、とうもろこし畑が、広がっている。
私よりずっと背が高く、畑の中をかくれんぼできそうだ。
とうもろこし畑も、風が吹くとザワワ、ザワワと心地よい音を
聞かせてくれる。
暑い任地、風が吹くたび、あちこちでザワワ、ザワワと鳴っていると
なんだか、ほっとする。
そして、背の高い、とうもろこし畑の中を歩いていると、
暑い日ざしから私をすっぽり包み込んでくれているようで、安心する。
もちろん、それは昼間だけだ。(夜は怖い)

今の間にたくさん収穫して、夏は焼きもろこしで、
冬は乾燥させて、ポップコーンで
または、挽いて粉にし、「デロ」という米の代わりの主食として食べる。
家畜の飼料にもなる。芯は、燃料になる。
とうもろこしも米同様、ネパール人にとって、なくてはならない食料なのだ。
おやつに、焼きもろこしかポップコーンを作って食べる。
素朴だが、おいしいんだ、これが。

とうもろこしの収穫が終われば、田植えの季節がやってくる。
「ザワワ、ザワワ、ザワワ、広いとうもろこし畑は~。」と歌いながら
海はないが、沖縄を感じている私である。

2011年6月28日火曜日

Make Material ②


ナマステ ウッジョールです。

次に、ネパールに来てから、ネパールで手に入る物で
作った教材をいつどんなときどのように使うのかを
説明しながら紹介した。

私は、自分で作ってみたいものを作ってもらおうと思っていたのだが
昨日、公開授業してくれたY先生が、私が紹介し、自分も使った教材を持って
「これは絶対に役に立つ。だからみんな作るべきだ。」と主張した。
私も心の中では、そう思っていたが、
Y先生がここまで気に入ってくれているとは思っていなかった。

さあ、教材を作ろう!
この教材作り、カティ ラマイロ ラギョ!!(どんだけ面白かったか!)
面白その① 先生達の不器用なこと!
      はさみ、定規、紙の使い方、
実は先生も経験不足でよく知らなかったんだ!

面白その② 先の見通しができない!
      計画的に作ることがとても苦手で、やってしまってから失敗に気づく。
      これもやっぱり、今まで自分で教材を作ったことがない。
      先生達も子どものときに、
図工や操作活動など作業をともなう経験をしたことがない。という
経験不足から来るものだろう。

面白その③ 「ミス(女性の先生の呼び方)これでいい?」とみんな訊く!
      先生も子どもと一緒!
今までしたことがないので、みんな自信がないのだ。
      そして、私が「とても、いいですね。」「ナイスアイデア!」などと言うと、子どものように嬉しそうに喜んでいる。
      先生も、学校でたくさん褒められたことがないのだ。

面白その③ 片付けができない!
      ごみをゴミ箱に入れる習慣がないネパール。
      散らかし放題で帰ろうとするので、
「みんなで片付けしないと帰れません!」と一言。
一応は、片付けてくれたけど、日本のようには行かない。
ここを忘れていた!これは私のせいだ。
ネパールで何か作業をさせるときは、ここをきちんと指導して
行わないと、うまくいかない。
これから、ネパールの先生達に操作活動を取り入れた授業をしてもらうには
「片付け」指導は抜かしてはならない。
      
今回の教材作りで、改めて、自分で経験する大切さがわかった。
先生達は、初めはどう作ったらいいのかわからず戸惑っておられたが
作業が進むにつれ、集中して、自分なりに工夫して、
近くの人とアイデアを共有しながら、本当に楽しそうに作っておられた。
「作ってみて、どうでしたか?」と。「とても、楽しかったし、よかった。」と
作っているときどんなことを考えながら作りましたか?」と
「どうやったら、うまくできるか?」「どうやって、子どもに教えようか?」
「作るのは、難しいな。」などと
「今日、先生方は私の生徒でした。
この気持ちは、子どもも同じなんです。どんなことも自分で経験して、初めていろんなことを考え、理解できるんですよ。
だから、授業中、できるだけ多くの活動を取り入れ、
子ども達にたくさん経験させてあげてください。」と最後締めくくった。
自分で言いながら、自分でも「ほんまにその通りや!」と改めて、知ることができた。

今まで経験したことがないネパールの先生方に
経験してもらうために、先生方の理解や準備などほんまに大変やったけど
終わって、「やって、よかった!!」と心から思った。

Make Material ①


ナマステ ウッジョールです。

公開授業の次の日、算数の授業に役立ちそうな教材作りを
先生方と一緒に作った。

まず、今まで26校を巡回してきて、
感じたネパールの算数教育(算数だけじゃないんだけど)の問題点を
3つに絞って、話をした。
①数の概念が理解できていない。
 数字は教えるけど、10がいったいどんな数なのかきちんと教えないので
 子どもは10を文字や言葉として理解しているだけ。
 なので、「5と10どちらが大きいか」と訊いても、「5」と答える子どもが結構いる。
 教材を使って教えることも少ない。あっても使わない。
→具体物、半具体物をたくさん取り入れて、教えよう!
 教材が、あるなら使おう!ないなら、作ろう!
②経験と練習量が全く足りていない。
 操作活動のいっさいないネパール。授業中の子どもの活動は、
ノートに書くか、全員で同じことを何度も言うだけ。
先生は宿題をたんまり出すが、やりかたのわからない宿題をしてくるわけはなく
ずるい子どもは、やってきた子のノートを写しているだけ。
→子ども一人ひとりに操作活動させよう!教材を作ろう!
③教科書と子どものレベルが合っていない。
 開発国は海外の支援が多く入っているため、政府があれもこれも取り入れて
 教科書を作ってしまう。(子どものことは考えずに)
 なので、1年生の教科書にも掛算、割算、分数まで載っている。
 数の概念が理解できていない子どもにどうやって、教えるのか?
 何も知らない先生達は、教科書に載っているから、できなくてもどんどん教える。
 教えたのにできないのは、子どものせいなのだ。
→その学年で一番教えなければならないことは何なのか、重点目標を作ろう!
 1年生で、掛算、割算、分数はいらないよ!
 そして、子どもができないのは、先生のせいだよ!!

最後の一文は、強調して言わせてもらった。

私のつたないネパール語で通じたかしら?
かなり熱弁したから、気持ちは通じたと思う。

公開授業


ナマステ ウッジョールです。

31日間の村生活が、終わった。
長いようで短い期間だった。
昨日、一昨日の2日間で、公開授業と教材作りのトレーニングをした。
一言、「疲れた!」
しかし、久しぶりに仕事した!っていう充実感があった。
ここに至るまで本当に大変だった。
1ヶ月、主に算数を教えている先生に付きっ切りで
私の授業のノウハウを教えた。
57歳のY先生は、とてもいい先生だった。
ネパールでのキャリアも長く、算数一筋で教えてこられたY先生は
私にキャリアもプライドもズタズタにされながら、それでも
非常に熱心に私から私のつたないノウハウを学んでくれた。

そして、彼はこの村初の公開授業(ネパールではほとんどしない)をしてくれた。
集まってきた先生達も、他の先生の授業をまともに見ることも初めて。

しかし、ここはネパール、どんなことがあってもおかしくない国。
やはりハプニング続出。
当日、私の心配していたことが起こった。
参観する先生が時間通り来ない。
10:00からの予定が始まったのは13:30。
さあ、授業を始めようと思ったら、今度は子どもたちがいない。
午前中の授業が終わると、カザ(軽食)を食べるために家に帰る子どもたちも多い。
そして、そのまま家で。なんていう子どもはたくさんいる。
先生が10:00に来ればそんな問題は起こらなかったのに・・・。

そんなこんなで始まった授業。
Y先生とても緊張しておられた。いつもの感じが全く出なかった。
考えていた問題も、違う問題を出したり、忘れていたり。
それで、当たり前だ。なんせ初めてのことばかり。
うまく行かなくても、この国でこの村で公開授業をしたことが
大きな一歩となったことは間違いない。

その後の授業反省会で、Y先生は自分はうまく授業はできなかったが
私と1ヶ月、一緒に授業をしたことは、今まで受けてきたどんなトレーニングよりも
一番、役に立った。そして、すぐ授業に使えることができたとおっしゃってくれた。
さらに、参観した先生方に、私から学んだ方法がどんなにすばらしいかを
熱弁しておられた。(照れくさい)
私は、悪いなと思いながら57歳のY先生に、
だめなところはだめとはっきり厳しく言っていた。
なので、反省会での先生の熱弁を聞いて、本当にうれしく思った。胸が熱くなった。
人に教えることが好きなY先生は、今後きっと若い先生に
このノウハウを教えていってくれるだろう。

私の1ヶ月村生活。大きな成果はないが、静かな湖面に小石を投じるように
波紋を作ることはできたのではないかと思う。
まだまだ、これで満足していてはいけない。
これを私がいなくなっても、続けていけるようにしなければならない。
ネパールの先生がネパールの先生同士、向上していけるように、
何とか小道、いや畦道でもいいから、作れるといいな。
ビールも飲まずにがんばった私に「ほんま、お疲れ!」と言いたい。
今日は、自分の部屋で静かに一人で乾杯かな!?

2011年5月28日土曜日

早起き


ナマステ ウッジョールです。

学校巡回で、村に滞在することが、多くなった私は
早起きできるようになった。

村の朝は早い。
大人も子どもも5時には、もう起きている。
起きてすぐに、家族分担で畑仕事、ヤギの放牧、水汲み、蒔き集め、草刈などする。
子どもももちろん、年齢に応じて仕事する。
この間、お世話になった家の8歳の長女は、
もう立派なお母さんと言っていいだろう。
産まれて、8ヶ月の弟の世話を彼女がほとんどしていた。
弟をおんぶしながら、小さい子ども達と遊んでいる。
私なんかより、ずっとあやし方も抱っこやおんぶの仕方もうまい。
ネパールの村の生活では、こうして自然と親から子へ
様々な家事をどうやればよいか、伝わっている。
家族みんなで、暮らすことは本当に大切なことなんだと
改めて実感。

そんなこんなで、家中みんな働いているのに私だけ寝ていることが
できなくなって、早起きるようになったのだ。
朝早く起きても、私は特にすることがなく、
野菜を洗ったり、切ったりと簡単な仕事を手伝わせてもらっている。

一仕事して、ようやく9時か10時頃、朝ごはんを食べる。
朝から、いっぱい仕事して食べる朝食は、やっぱりおいしい。
(私は、あんまり仕事してないけどね。)

2011年5月22日日曜日

カトマンドウ

ナマステ ウッジョールです。

仕事とビダイ(送別会)のためにカトマンドウに行ってきました。
ネパールに来たときは、カトマンドウはそこそこ拓けた町という
印象でした。(日本と比べると)

しかし、自分の任地で仕事をし、仕事でさらに村の生活を体験し
そんな生活をしている中で、たまにカトマンドウに行くと
「何て、都会なんでしょう!」と思ってしまうから不思議です。
確かに、都会なんです。
カトマンドウはツーリストをはじめ、海外から来ている人々が
たくさん住んでいます。
だから、各国のおいしいレストランもたくさんあるのです。
日本食のクオリティも高い!
現地の物価からすると高いですが、任地でほとんどお金を使うことがない私は
カトマンドウに行くと、おいしい食事と買い物で
お金を使っています。

田舎と都会のギャップがたまらなく楽しいです。

カトマンドウがゴミが無く、排気ガスがなく、きれいな町なら
本当に住みやすくいい町何だけどなー。

2011年5月14日土曜日

バンダ

ナマステ ウッジョールです。

村から帰ってきました。
疲れたーーー!!
しかし、なんだか、町が静か。何故?
バンダ(クローズ)だったのです。
いつ、どこで、どんな理由で起こるか様々ですが、
政府のやり方に反対したり、自分達の意見を聞いてもらったりするために
主要幹線道路の関所のようなところを閉鎖するのです。
だから、車はストップさせられ、幹線道路には
ほとんど、車が通りません。

私の住んでいるマレクという町は、ポカラという大きな都市に行くための
幹線道路が通っています。そして、カトマンドウから3時間。
観光客やトラックの運転手が、休憩するのにいい距離なため、
食堂や飲み物、食べ物などを売っている店がたくさんあります。
日本でいう「サービスエリア」のような感じでしょうか。

しかし、「バンダ」になると、お客は、全く来ません。
だから、店もほとんど閉まっているのです。
村から帰ってきて、冷たいジュースが飲みたかったのに
ほんまに、ショック!!
仕方ないので、部屋でコーヒー作って、飲みました。
久しぶりのコーヒーは、うまかった!!
(ネパール人は、あまーいチヤが好きなので、コーヒーはあまり飲みません。)
実は、暑い中、熱いのを飲むと汗が出て、涼しくなるんですよ。

バンダは1日で終わりました。
今日は、また平常通り。
観光バスもたくさん来て、バザールはなかなか繁盛してました。

2011年5月7日土曜日

教科書


ナマステ ウッジョールです。

ネパールでも、新学期が始まり、
また私は村の学校を巡回しています。

日本では、新学期が始まると、当然のように
全ての児童に教科書を渡すことができます。
数が足りないや教科書が届いていないなど、
あってはならないことですよね。

しかし、ネパールでは、そんなことがあって当たり前なんです。
新学期が始まったにもかかわらず、教科書が届かないと言う理由で
先生達は授業をしません。
子ども達は学校に来ているのに教科書がないから
授業ができないと言って、授業しないで、
先生同士雑談して、帰ってしまうなんてことも・・・。

そして、ようやく教科書が届いても、数が足りない、算数の教科書が
来てない。5年生が届いていないなど、よくまあ、そこまで
いい加減にできるなと思うほど、いい加減なのです。

しかし、村の学校を巡回することで、教科書がどのように
運ばれてくるかということを知ることができました。

今回は私の家から、歩いて5時間半かかる村の学校に行きました。
ほんまに疲れました。
一緒に行った先生が「今日は、教科書を運ばなければいけないから
途中、店に寄ります。」と。
その店には、教科書が届いていました。
ここまでは、車で運ぶことができます。
その先はどうするか、もちろん人が運ぶのです。
先生は、2人の担ぎ人を雇い、そこから2時間かかる山の上の学校へ
運んでもらっていました。
私は、一人で歩くだけでも大変だったのに、
彼らは、一人30kgはあると思われる教科書を一人は裸足で
もう一人はサンダルで、運んでいったのです。
すごい!!!としかいいようがありません。

それなのに、その学校でも、当然のように数は全く足りていませんでした。
どういうこと!!!
だけど、ネパール人はこんなことで怒ったり、文句言ったりはしません。
なぜなら、それが当たり前のことだから。

これでいいのかどうか(たぶんあかんでしょう)わかりませんが、
またまた、ネパールの現状を見せつけられた瞬間でした。
ネパールラヘチャ!(やっぱ、ネパールだったんだ!)

母の日

ナマステ ウッジョールです。
5月の第2日曜日は母の日。
ネパールにも、母の日がある。
ネパール月の1月20日(西暦5月3日)は
母に会いに多くの人が、実家や母のいるところに行く。

母のためにおいしい食事をつくり、
新しい服をプレゼントしたりするそうだ。
10ヶ月、母のおなかの中にいたので、
この日は、息子、娘達が、母をおんぶして歩くそうだ。
ネパールでは、自分のことより家族のとこが優先だ。
家族の行事(結婚式、母の日、こどもの日など)があると
仕事や学校より家族が大切。だから仕事や学校は休むのが当たり前。

こんな話を聞いて、思い出すのはやはり母のこと。
日本にいるときは、母の日だからといって、
特に何かしていたわけではない。
母のことより、自分のことが優先だったように思う。
こんな私は、かなり親不孝。
近くにいると、わからなかったことが、遠く離れたネパールで
いろんなことを経験することで、
母の愛情や有難みを感じている。

お母さん、産んでくれて、育ててくれてありがとう!

2011年4月27日水曜日

再開

ナマステ ウッジョールです。

東北大震災で被災された皆様、心からお見舞い申し上げます。

約1ヶ月半ぶりのブログ更新。
この間に、日本で、世界で、身の回りで色々なことが
起こりすぎて、自分の活動をブログに更新する気持ちになれなかった。

日本での震災のことはもちろん、
同期隊員の不慮の事故や国の情勢不安のため一時避難など。
どれも心が痛み、何かできることはないかと思うが、
どうしようもできないことばかりだ。
どれも他人事とは思えない。
どれも自分に起こりうることだらけだ。
たまたま偶然、無事なだけだろう。

どこにいても、何があるかわからない世界。
今日という日を楽しく、平和に無事過ごせたことは本当に幸せなことなのだ。
すべてのことに感謝しながら、一日一日を精一杯生きていきたい。
そして、世界中の人々が平和に暮らしていけますように・・・。

気持ちを新たに活動もブログも再開します。

2011年2月26日土曜日

ホステル(寮)


ナマステ ウッジョールです。
1週間の学校巡回から、帰ってきた。
今回の巡回は、歩いて3時間かかる村だ。
車でも行けるが、道はもちろん舗装されていない
ガタガタ道だ。
どちらで行っても、疲れることには変わりない。
私としては、歩くほうが自分のペースで行けるし、
途中で、いろいろな出会いがあるので、面白い。

1週間で3校回った。
最後の一校が、その村唯一の高校(10年生)まで
ある学校だった。
なので、近くに中学、高校がなければ、この学校に
通うことになる。
片道3時間かけてきている生徒もいるらしい。
学校に通うだけで往復6時間。
毎日、通ってくるだけで、立派と言える。

遠い生徒達のために、この学校には「ホステル(寮)」がある。
しかし、その住まいは想像以上に過酷な状況である。
どうみても、一人で暮らすのがやっとだろうという
ひとつの部屋に5人の生徒が暮らしている。
どうやって寝るのだろうか?
ブロック塀のみすぼらしい建物は、夏暑く、冬寒いことが
手に取るようにわかる。
しかも、食事は建物の裏手にある、かまどで
自分達で作って食べているそうだ。

中学生以上の生徒だけだと思っていたら、
なんと、8歳、9歳の子どももいるらしい。
こんな小さいときから、勉強するために、
親元を離れて、どう見ても快適とは、思えない住まいで
暮らしているのかと、思うと、胸が痛くなる。

学齢期に、学校に行かず(行けず)、勉強できず、
家の仕事を手伝っている子ども(でも親と一緒に暮らしている)と
小さいときから親元を離れて、過酷なホステル生活を
しながら、学ぶのと
いったいどっちが、幸、不幸で、その子のためになるのだろうか?
どちらにしても、子ども達は、小さいときから、とてつもなく
厳しい世界を必死で生きている。
どちらの子ども達も、幸せに暮らしていける世界を
我々大人が一日も早く作って行かなければ・・・と思う。

2011年2月18日金曜日


ナマステ ウッジョールです。

久しぶりに、雨が降った。12月31日大晦日以来。
嬉しいことなのだが、私にとっては
この雨のせいで、いろんな問題が起こった。
巡回で、山の上の学校に行っていた私は
家に帰れなくなった。
ネパールの山道、雨が降ると道がぬかるみ、
土が粘土のような状態になる。
歩けば歩くほど土が靴底にへばり付き、
滑ってなかなか前に行くことができない。
坂のきつい斜面はどうすることもできない。
なので、私は帰ることをあきらめた。
巡回した学校の先生の家にもう一泊、お世話になることにした。
本当は帰りたかった。
(それまでに3泊し、入浴していないから・・・)
しかし、先生の家に行くまでも、15分山道を歩かなければならない。
この15分が、大変だった。
案の定、滑って転んだ。
服や靴はどろどろ。
先生の家に着いたからといって、洗濯できるわけでもなく、
とりあえず、手と顔を洗って、ついた泥だけ落とした。
しばらく、何もする気が起こらなかった。
ただ雨が降っただけなのに、ネパールの山道がこんなに
歩くのが大変だとは・・・。
雨期の生活がどんなに大変か、よくわかった。
ここで生活している人は、サンダルで、ぬかるみ滑る道を
スタスタと歩いていく。
何故????
一日、ブルーな気分になったが、これも
よい経験になった。
雨期の山の巡回は絶対に行くまい。

自分の部屋に帰ってきたとき、どんなにうれしかったことか!
すぐに、シャワーを浴び、洗濯したことは言うまでもない。

2011年2月12日土曜日

折り紙


ナマステ ウッジョールです。

今回、巡回した学校で折り紙を教えました。
その学校は、日本人が寄付して建てられたそうで、
そのときに、日本人から折り紙ももらったということで
先生方が「子どもに教えてやって欲しい」というので
私が教えることになりました。

カメラと鶴と風船の作り方を教えました。
難しかったです。
何が難しかったか、言葉もさることながら、
日本の子どものように、紙を折るということに全く
慣れていないネパールの子どもに、
まっすぐ紙を折らせることが難しかったです。

前で見せても、どの線とどの線を合わせて折ればよいか
なかなか理解してくれず、悪戦苦闘しました。

形はきれいではありませんが、出来上がったとき、
子ども達は、本当ににうれしそうにしていました。

今まで、やったことがないことを教えるのが
こんなに難しいとは・・・・。
私にとってもいい経験になりました。

そして、日本の折り紙のすごさも実感しました。
小さいときから、紙を折る遊びをしていると
手先も器用になるし、空間認知も強くなるし、
考える力もつくなと思いました。

それぞれの国で昔から伝えられてきている遊びは
やはり、すごい力をもっているんだと感じています。

日本人の手先の器用さは、この辺から来ているのかもしれませんね。

サハヨーグ(援助)


ナマステ ウッジョールです。

ご無沙汰です。久しぶりのブログ更新です。
村の巡回が立て込んでいます。

巡回で、ひょんなことから、日本に旅行に行って
帰ってきたばかりという、ネパール人に会いました。
その方は、今回の巡回でお世話になった家の先生の弟さんでした。
彼は、仕事でベルギーに10年、住んでいて、いろいろなビジネスを
しているようです。
日本の友達に会うために、日本に旅行してきたようです。
まさか、この田舎で、日本に旅行に行って来たネパール人に
会うなんて、思いもしなかったので、本当に驚きました。

彼は、いろいろな言語を話すことができます。
彼の努力もさることながら、優秀で外国で仕事を成功させた
まさに、「ビデシ(外国)ドリーム」を手に入れた人なのでしょう!

自分の田舎に学校を作り、いろいろな支援もしているようです。
多くのネパール人が彼のように「ビデシドリーム」を夢見ています。
私もよく、「私も日本に連れていってくれないか?」と言われます。
ネパールでは、よい仕事(儲かる)につくことが難しいらしく、
高学歴の人ほど、外国に行ってしまうそうです。
低学歴の人も外国に行って、仕事をしていますが、それは
まさに出稼ぎで、きつくて大変な肉体労働なのです。
ネパールの二極化も広がる一方です。

その彼に、私は支援してもらいました。
日本のカレールーとサキイカをもらいました。
かなり、うれしかったです。
ネパール人に日本の物資を支援してもらうとは!!
ほんまにうれしい限りです。
彼はこれらを家族のためにお土産として買ってきたのに
ひょんなことから出会ってしまった私(日本人)に快く
くれたこの気持ちが、うれしかったです。
なかなか、受け取ることができなかったですが、
さらに彼は「あなたがこれを食べるほうがおいしく食べられるし、
日本のことも思い出すでしょ!そのほうが私もうれしいです。」と。

彼の気持ちのこもったカレールーとサキイカを
私は一緒にきた仲間と味わおうと思います。

2011年1月16日日曜日

ぜんざい


ナマステ ウッジョールです。

1月15日
小正月。ぜんざいが食べたい!!
もちは、家から送ってもらった。後は、小豆だ。
ネパールにも、「ラズマ」と言って小豆のようなものがある。
これは、作るしかない!!
「よし!作ってみよう。」

実はあんこなど、自分で作ったことがない。 
試行錯誤で、砂糖と塩で、味付けし
後は、圧力鍋で、煮るだけ。

出来上がった状態は、かなりいい感じ。
さて、味は?
一口食べて、「うまい!!」
私って、実は料理、天才かも?なんて思いながら
出来上がった、小豆の甘煮に感激し、
近所のねパール人に、振舞ってみた。
以外に好評で、みんな「ミットチャ!!」と言ってくれた。

これで、念願のぜんざいが食べられる。
また一つ、私の料理のレパートリーが増えた。
ネパールに来て、できなかったことと言うより
しなかったことをするようになり、
私も、やれば何でもできるんだなーとほんまに実感しております。

いやー、ネパールでぜんざい食べられて、幸せ!!

2011年1月15日土曜日

元旦


ナマステ ウッジョールです。

1月1日
「あけましておめでとう!」と言った瞬間、なぜか下界の電気がスーッと
消えて、すべてが真っ暗になった。
そして、湖から一斉に霧が発生し、あれよという間に、
あたりが真っ白になった。
あまりに一瞬の出来事だったので、狐に包まれたような不思議な感覚に襲われた。
そして、5分も経たないうちに、また、下界に電気がつき、霧が消えた。
 
朝、5時に起床。
ネパール人の僧侶と一緒に寺に行き、お経をあげた。
無心でお経を上げていると、なぜか心がすっきりした。
そして、いろいろなことをお願いした。
こんなことも、日本では一度もしたことがない。
 
6時半、だんだん空が白み始め、景色が見えてきた。
宿の目の前に、でんと雄大に聳え立つ、ヒマラヤ山脈が見えた!!
なんて、美しくすばらしい眺めなんだろう。
時間の経過とともに、その姿を変えるヒマール。
朝日が、昇るとともに、山頂あたりが赤く染まりはじめる。
ヒマールに見とれて、朝日を見逃しそうになった。
東の空に、赤々と燃える大きな太陽が、半分顔を出していた。
これにも、感動!
思わず、拝んだ。
 
ネパールで初めて迎える新年がこんなにすばらしいことに
驚くとともに、いろいろなことに、感謝せずにはいられなかった。
こんな素敵な新年を迎えさせてくれて、ありがとう。
絶対に、ネパールでがんばらなければ!
絶対に、いい年にしてみせると誓った。
 
今年は、丸々一年ネパールで過ごす。日本にはたぶん帰らない。
2011年、私のとって、ネパール年であることは間違いない。
ネパールに来て、本当にいろんなことを考えさせられいる。
最近よく思うことは、私がここに来ているのは偶然でなく、必然だったのでは?
そして、今まで、出会った人たちも、偶然ではなく、必然に出会わされているのでは?と
そして、これから出会う人も・・・。
そう思うと、いろいろな人たちがとても愛おしく思える。
 
皆様、私と出会ってくれ、ありがとうございます。
そして、今年も(これからも)どうぞ、よろしくお願いします。
 
2011年が、皆様にとって、すばらしくかけがえのない年になりますように・・・。

大晦日

ナマステ ウッジョールです。
新年を祝うために、ポカラに行きました。
ポカラには、日本妙法寺という寺があります。
ポカラ(標高800m)から300mほど高い山の上にあります。

12月31日 大晦日
なぜか雨!!この乾期の時期に雨が降ることはめったにありません。
なのに、なぜ12月31日に雨が降るのでしょう?
日本妙法寺に行く日に雨が降るなんて・・・・。
しかし、いい方に考えよう。
この雨は、2010年のすべての汚れを洗い流してくれているのだと。

夕方、日本妙法寺に着いたときには、あたりはすでに真っ暗。
この寺に本当に人がいるのかと思うくらい、暗く、静か。
この寺で、年越ししようと言いだしっぺの私は少し不安になり。
この日、日本人の上人さんは不在で、ネパール人の僧侶が出迎えてくれた。
よかった!人がいた!
 
しかし、まだ、雨が降っている。
ネパール人の僧侶と一緒に、自分達で運んだ野菜を使って料理を作った。
もちろん、ダルバートというネパール料理。
今年最後の食事は、一緒にネパールに来た協力隊員とダルバートを食べた。
おいしかった。

なぜか、泊り客は私たちだけ、貸切状態。
ポカラの繁華街レイクサイド(観光客がたくさん泊まる場所)はカウントダウンの
いろいろなイベントで盛り上がっているのが、上からよくわかる。
上界とは対照的な世界。
下界を見れば見るほど、ここはやはり神のいる天上界?!

いつの間にか、雨がやんで、満天の星空。
明日はきっと晴れる!
いよいよ、カウントダウン。
今年は、私のとって、ネパールに来た激動の年だった。
とにかく、健康で無事に今年を終えられたことに感謝!!
「5.4.3.2.1!」
友達とカウントしながら2011年を迎えた。