2012年3月26日月曜日

日本


ナマステ!ウッジョールです。

3月20日。
朝、7時15分頃、成田空港到着。
とうとう、日本に帰ってきた。
1年9ヶ月ぶりの日本は寒かった!!

日本の便利さやサービスの良さを到着したとたん感じた。

トイレの手洗い場から湯が出る!
ふたが、水が、ドアが自動で!!
バスが広々快適!全く揺れない!車内で爆睡できる!
車内アナウンスがある!そんで、丁寧、親切!!などなどなど・・・・・・。

日本はすごいわ!

到着してから、念願の寿司を築地市場に食べに行った。
久しぶりの日本の味を目で香りで舌で堪能させてもらった。
無事帰ってきた喜びを感じた。

2年前の私には、気づかず、わからなかったことがたくさんあったが、
2年後の私には、日本を離れてわかったことやネパールに住んだことで
見えてきたこと、本当にたくさんある。

この経験で学んだことを今後の人生で必ず、活かしていくぞ!
周りに流されず、自分の信じた道をゆっくりと歩んでいくぞ!
今後も、いろんな出会いを大事にして、人生を楽しんでいくぞ!

見守ってくださった皆様、本当にありがとうございました。
任期を完了し、無事に帰ってくることができました。
今後も、よろしくお願いいたします。

2012年3月19日月曜日

ボリ ファルカンツ(明日、帰ります。)


ナマステ ウッジョールです。

3月18日。
ネパール生活、残り1日となった。
明日、いよいよ日本に帰るため、昼の便でタイランドに旅立つ。

昨日は、帰国する友達とハイヤットリージェンシーホテルに泊まった。
1年9ヶ月のネパール生活の垢をホテルのバスタブやジャグジー風呂に
落としてきた。
湯船につかるのは久しぶりだったので、本当に幸せ気分になった。
毎日、湯のお風呂に入れることが、こんなに贅沢だなんて!
こんなことも、ネパールに来てわかったことだ。

朝食がおいしいと有名なこのホテル。
バイキングで並んでいる料理は、本当にどれもこれも
おいしかった。
特に、パンが本当においしかった。
ネパールではおいしいパンを食べる機会が少なかったので
おいしさが身にしみた。
ネパールに来て、さらに食対する欲求が高まった。
おいしい料理は人を元気に幸せにしてくれる。
そして、毎日、おいしく頂けることが、どんなに幸せなことかもわかった。

友達とネパールでのいろいろな思い出を語り合いながら過ごした。
この日もまた、私にとってかけがえのない一日となった。

何気無く過ごしている日々、全てがかけがえのない時間であることも
ネパールで過ごしてみて、実感できたことである。
ネパールで過ごした1年9ヶ月全てが、貴重ですばらしく、
何物にも代え難い日々であった。

私の第二の故郷、ネパール。
あなたから、本当にいろんなことを学んだ。
私に色々なことを教え、気付かせ、考えさせてくれて、本当に本当にありがとう!

明日、帰る。
でも、まだ帰る実感が湧かない。何故だろう??
いつ実感するんだろう?
日本に到着してからだろうか?
それとも、家に着いて「ただいま!」と言ってからだろうか?

とにもかくにも、元気に帰ります。

2012年3月17日土曜日

任地去る


ナマステ ウッジョールです。

3月11日。
いよいよ、私の活動場所だった、マレクを去る日が来た。
朝、マレクのメイン通りの知り合いに、別れの挨拶をしに行った。
みんな「今日行くのか?もっと居れないのか?」と。
居れるなら、いいなーと思いつつも、別れのときは必ず来てしまう。
今日がその日だ。
挨拶に回りながら、来たときのことを思い出す。
暑かった!
不安だった!

しかし、今は溶け込んでいる。
家に帰るとホッとする。
住めば都で、完全に地元住民化している。
だから、余計別れがつらい。

一番の友達のところに挨拶に行くともう、泣いている。
それを見て、私ももらい泣き。
右も左もわからない私を助けてくれた彼女。
いつも、私のことを気にかけてくれていた彼女。
いろんなことが、一気に走馬灯のように蘇って来た。
2人で、抱き合いながら、泣いた。

さらに、家族との別れもつらかった。
アマが「メロチョリ!(私の娘よ!)」と言いながら、涙を流していた。
私も「メロアマ(私の母)!」と言いながら、ここでも抱き合いながら、泣いた。

家族のように接してくれたマレクの方々、本当にありがとう。
ここは、私の第二の故郷です。
必ず、きっとまたここに帰ってきます!
今度は一人ではなく二人で?!
それまで、元気で。皆さんの幸せを日本から祈っています。

ビダイボーズ


ナマステ ウッジョールです。

3月16日。
同期隊員プロデュース、ビダイボーズ(送別会)が行われた。
私は現職教員で参加したので、同期隊員より
3ヶ月、期間が短い。
だから、同期に送られた。
とにかくチームワークのよい同期。
どんな、会より素敵でマヤ(愛)がたっぷりのビダイボーズだった。

笑いあり、聞かせあり、泣かせありで
私も笑ったり泣いたりで、大忙しだった。

一緒に来た同期に送られるのは、複雑な気持ちだったが、
駒ヶ根からともに苦労をし、分かち合ってきた仲間に
送ってもらえるのは、本当に幸せだと感じた。

みんなの愛を心のそこから感じた。
私は、この同期と一緒にネパールに来れて、本当によかったと思う。
I love you!!!!
マ タパイハルライ サダイ マヤガリーラヘツ!
(私は、あなた達のことをずーっと愛し続けます!)

ほんとにほんとにありがとう!
ダンネーバード

一足先に日本に帰ります!
待っています。
みんな、残りも悔いのないように活動し、
元気に帰ってきてください。

2012年2月13日月曜日

10泊11日の学校巡回の旅Ⅴ


ナマステ ウッジョールです。

この巡回の旅でもまた、村人から子どもから自然から色々なことを教わりました。
とにかく、厳しく貧しい環境の中でも、家族や地域で助け合いながら、
一生懸命暮らしていました。
愛情が一杯でした。
優しさや思いやりで溢れていました。
深い絆で結ばれていました。
子ども達も家事労働をするのは当たり前で、
水汲み、薪切り、家畜の世話、掃除、洗濯、食事作り、子守りなどして、
きちんと家族の一員として、役割を果たしていました。
自然に逆らわず、自然とともに暮らす生活が本来、人としてあるべき姿なのだと思いました。

そして、ネパールはヒマラヤ国です。
大変な思いをして行った村には必ず、美しい自然や風景を見ることができます。
山の上の村からは必ずと言っていいほど、ヒマラヤが見えます。
がんばって行った村からヒマラヤが見えると、疲れが一気に吹っ飛びます。
見ていて飽きません。
この美しくすばらしい景色は厳しい環境の中で生活している村人へ
神様からのご褒美のような気がします。

ネパールは本当にドゥッカ(大変・苦労)の多い国です。
しかし、人の心の豊かさや大らかさも多い国だと感じました。

10泊11日の学校巡回の旅Ⅳ


ナマステ ウッジョールです。

今回の巡回はとにかく、行くことに意味があると思い、決行しました。
だから、一日しか訪問できないのです。
たった一度の訪問で何も伝えられないし、教えられないことはわかっていますが、
一日だけでも日本人のミス(女性教師)の授業を受け、楽しく勉強すれば、
子ども達の経験になるのかなと思い、自作教材を使って、私も一生懸命教えてきました。

どこの学校の子どもの本当にかわいかったです。
日本人を初めて見た子ども達ばかりです。
すごく興味があるのですが、少し離れたところからじーっと見つめています。
近寄ると逃げていきます。
しかし、授業では、はじめはかなり緊張して、何を言っても反応がないのですが、
楽しく授業を進めていくうちに、
「次は何だ?」と興味津々で目をキラキラ輝かせながら、
私の言うことを一所懸命聞いて、勉強してくれました。
終わった後は、子ども達も先生も
「ミス、次はいつ来てくれるの?」 「明日も来てね!」と言ってくれます。
とてもうれしいですが、とてもつらいです。
もうこの子達とは二度と会えないだろうなと思うと、胸が締め付けられます。
別れのときはいつも、後ろ髪を引かれる思いでした。

10泊11日の学校巡回の旅Ⅲ


ナマステ ウッジョールです。

そして、学校も大変でした。
リモートエリアの学校は粗末な建物だけがあるといった感じです。
勉強するための机やいすの数が少ない、
子どもの数は多いのに、教室が狭い、暗い、寒い、道具がない。
トイレも水道もない学校もありました。
厳しい環境の中、子ども達も先生も毎日通うのが大変です。
それでも、がんばって来ている子ども達はえらいと思います。
巡回しなければ、わからなかったことが一杯です。
「ネパール人はなぜ時間を守れないのか?」
「先生は、なぜ教材研究して、きちんと教えないのか?」などなど
マイナス面ばかりがつい目に付きます。
しかし、この厳しい生活環境の中、学校に来ているだけでも、すごいことではないですか!?
リモートエリアで先生をしている人は地元民じゃないことが多いです。
なぜか?
先生になるだけの教育レベルに達することが、まだまだ難しいからです。
だから先生は、よその町からやってくるのです。
その先生も、もちろん家から通うことができませんから、村にホームステイしながら、
子ども達を教え、週末は歩いて、何時間もかけて家に帰るという生活をしています。
そんな暮らしの様子を知ってしまったら、
「授業の準備をきちんとしてから、学校に行ってください。」と強く言えなくなりました。